代々木ではたらく

これからの働き方を考える

クルマ、家、こどもたち、

2019年、あけましておめでとうございます。今年も適当にブログを更新しますので、よろしくお願い致します。関東はとてもよく晴れていて穏やかな年明けになりましたね。うれしいです。僕は31日、1日と東京を離れ、関東平野の隅っこにある実家の方に来ております。毎年年越しは友達の家でと決まっていて、高校生の頃からの恒例行事となっています。高校を卒業してもう、15年を越えているのですが、本当に遠くまで来たものです。でもずっと友達でいてくれて、お正月を一緒に過ごしてくれます。いい仲間をもったものですね。僕は本当に人に恵まれています。ありがとう。ありがとう。

 

で、地元で仲の良い友達が3人いるのですが、3人ともクルマ、家、こどもを達成しております。大成功です。本当に嬉しい。みんなちゃんと大人になって、命を引き継いでいくという人類としてやるべきことの一つをバッチリ達成しています。すごい。本当に。年賀状がこどもの写真であふれていて、印刷業者やプリンターの質の話題で盛り上がるわけです。春から幼稚園だーとかね。家がいついつに完成するーとかね。僕はまだまだ東京でふらふらしていて、スマブラなんかを一生懸命やって、プレイ動画まで作ったりしているわけです。僕をいれたこの4人のなかでスマブラをやっているのなんて僕だけですよ。あーまったく。みんなやろうぜ。

 

東京はすごい、地方は衰退。そういう構図でやっていたはず(?)なのですが、いったい本当に衰退してしまったのはどっちなんだろうか、、と思ってしまいます。東京で謎の競争に巻き込まれ、戦国時代やー!!なんて言って日々の時間を仕事に投入しまくって何が得られたのでしょうか?命を削って稼いだお金で何を得るのでしょうか?クソ狭くて庭もない駐車場もない家賃の高い集合住宅でしょうか。オシャレで深夜まで明るいお店?毎日のイベント?意識高い知り合い?食えないデジタルデータ?見栄はって、高いものを高いという理由で買う。飾る。マウントをマウントで返す。中身のない側面だけのものでも価値を見いだしてしまうのが人間の性質のひとつなのかもしれませんね。そんなこと言うなら、もはや人類に進化も進歩も必要ないのか?というとそういうことを言いたいのではありません。時間の使い方、まず何を第一にしているのか。我々の本当の目的は何か。目標ばかり追いかけて一生を終えてはいけません。本当なら東京が、そういう幸せを作れる場所でなければいけないはずでしょ?一応日本を引っ張ってるんだから。

 

ふと、地元で幸せにゆっくり暮らしている人を見ると考えてしまいます。俺は東京で何をやっているんだ。みんなの目を気にしながら、数字をおいかけ、キシキシやっています。毎日毎日。たとえ満員電車にのっていなくても、東京は満員電車ですよ。ここにいるだけで満員電車に載っているのと同じ。「都会で金をまいて満員電車にのらない生活でーす^^V」なんて言ってるやつよ。そこが満員電車や!満員都市なんや!。お前の立っているところがな。

 

僕は常々、「豊か」と「便利」は違うと考えています。東京は「便利」ですが「豊か」ではない。そう思います。そして「便利」は金で買えますが「豊か」は金で買えない。「便利」は時間を短縮するもの、「豊か」は時間をかけられること。全く逆の考えかただと思います。これからの時代は金で買えないものが価値を持っていく、というか、そういう本当のことを再認識しなければならないなぁ。そう感じている毎日です。いつの日か「便利」と「豊か」を両立できるように、2019年ダラダラ頑張っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

公務員年収800万で定年まで勤める地獄、

こんばんわ、よしけです。おひさしぶりです。今年ものこすところ後10日くらいですね。いよいよ終わりが見えてきました。泣いても笑っても2018年は終わってしまいます。止められない大きなものが迫ってくる感じ。人間は無力ですね。立ち尽くすしかありません。

 

専門学校卒の若手新人を初任給30万で雇ったのだけど、1年くらいで辞めてしまったということがありまして、それはそれは凹んでいたのです。そのことについていろいろと考えていたのですが、点と点がなんとなく繋がり始めたので色々と書いて整理したいと思います。

 

お金が余っているの?

初任給30万円出しても人が辞めてしまうっていったいどういうことなんだろうと思います。僕の会社も僕自身もとても未熟で「会社」っていうしっかりしたイメージとは程遠いものだったという部分もあります。こんなところにいたくないっていうのは少なからずあったでしょう。でも月給30万円がいきなり0になっても全く困らない状況っていうのはあまり想像できませんでした。僕は今30代半ばで、お給料は高ければ高いほどよいと考えています。でも、今の20代前半以下の若い人たちは、お金じゃないっていう人が多いいのかなと感じることが結構あります。「やりがいなんていらないから金と休みくれや」って言っていた世代からもう一つ世代が移動した感じがあります。「金いらないからやりがいくれや」って???どこのブラック???って思いますが、多分それも違うんですよね。やりがいともちょっとちがう。「金いらないから、充実させろ」「金いらないから、承認してくれ」「金いらないから、リスペクトしてくれ」そんな感じのもっとふわっとしたやつだと思うのです。多分僕はよくわかっていない感覚。わかりたいけど。理屈ではわかるけど。心底わかるようにはなれないかもしれません。もう老害です。僕は。

それってとても幸せで。お金はもう余っているんですよね。というか、欲しいものはお金で買わなくても手に入っているということでしょう。物質的には満たされているのですね。借りればいいし、だれかくれるし、安いのでいい、中古でいい。無料でも小額でも楽しめるものなんて山のようにあります。お金っていう数字の大小はあまり関係ない状況になってきているんだなーと思います。ほら、1年もすれば映画だってタダで観れますしね。シン・ゴジラ最高ですよと。ご飯だって安くてめっちゃおいしい。300円で満腹ですわ。

 

時間をお金で買うというアレ。

僕は時間をお金で買うということが大好きです。大好きでした。タクシー乗りまくり。ちょっとでも時間が短縮できるならお金バンバン使います。それでいいと思います。それでいいと思っていました。この世で一番大事なのは時間ですからね。時間は人間の命そのものだからです。少しでも多く、自分の時間をつくる。少しでも少ない時間で利益を生んだほうがいいわけです。本とかすごいですよね。他人が何ヶ月もかけて書いた本を数時間で頭に入れられるし、映画も同じでとてつもない時間が圧縮されています。ものすごいコスパです。それらが僕は大好物なのです。

最近僕はパソコンを買い換えようと思っていました。少しでも早いパソコンで、使いやすいアプリケーションで、最新の機材でまわりを固めれば、仕事が早く済む。それを考えていました。が、それ、本当に意味あるのでしょか?と手が止まりました。パワーにパワーを被せていくとどこまでもパワーの戦いになっていきます。どこまでパワーを求めてもさらにパワーを求めていきます。きりがない。さっきのお金の話も同じで、金はいくらあっても金でしかありません。稼いでも稼いでも上には上がいて、きりがない。実は不毛な戦いだってことだと思うのです。(ある程度のところでうまくやるっていう頭の使い方が必要なんじゃないかなーと思います。)

 

コスパが良ければなんでもいい病気。

うまく表現できませんが。なんというか。その上限のない戦いみたいなのを一生やっていくんでしょうか?僕たちは。きりがない戦いにうまく乗せられて消耗していくのでしょうか?僕たちは。なにか、いつのまにか目的を見失い。目標だけを追い求め、目標だけをクリアし続ける無限のループにはまっているような気がしています。本当は何がしたいの?走ることは目的じゃないよね。

デパートのバーゲンセールに群がるおばちゃんとか軽蔑しているじゃないですか。安いからっていう理由だけでいらないものを買っていく。それめっちゃ損じゃないですか。実はそれと同じ構造ですよね。コスパがよければいらないものも買う。みたいな。時間が買えるなら無限に買う。買った時間をどんなクソみたいなことに費やしてるか自分でもわからないのに笑。買った時間でだらだら夜更かししたりしてるんですよ。まったく。

 

お金でも時間でも手に入らないもの。

今まではお金や時間を使ってその数字の大小を価値に変換していたのですが。もうそういう数字が価値を持つ世界ではなくなってきているんだなーと感じている今日この頃です。パワープレイの時代は終わったのですね。

じゃぁいったい何がいま価値があるんでしょうかね。気になります。若い世代に言わせれば「いいね」ということなのかもしれません。で、その「いいね」っていうのは金じゃないわけです。「昨日飲み屋で200万使ったわー」っていうおっさんは全然良くないし、高い車乗っててもモテません。ブランドものを自慢しても全くいいと思えない。大画面TVいらない。金使いまくる人とか本当にダサい、肩書きダサい。権力ダサい。そんなわけで、お金はそれほどいらないし、時間も実は無駄に浪費してる。そういう数の値じゃなく、個人レベルの性格とか特徴とか面白さ、だれと友達でいるか、だれと一緒にいるか、どこにいるか、なにをするか、それらが自由であるかに重きを置いている。今まではお金や時間が媒介していたものが直接扱えるようになっているのが今なのかもしれません。今の若手は何が自分にとってちょうどいいか、よく分かっている人が多いなーと感じています。お金で買えないものこそが価値を持っているんですね。

 

そりゃ初任給30万でも嫌な場所にはいたくないわなー。公務員年収800万で定年まで勤めるなんて地獄としか思えないのですよ。ちなみに僕の父は完全にそれです。あー、、否定するハメになっちまった。申し訳ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソーシャルアパートメントがなんか楽しそうな話、

こんにちわ、よしけです。先日まで暑い日が続いていただと思っていたのですが、いつの間にか寒くなり12月に突入してしまいました。今年もあと1ヶ月ですね。残り30日くらい本気で人生プレイしてもいいんじゃないでしょうかね。とはいえ、飲み会とか謎の集まりとか増えて何か本気でものごとに向き合うなんてできっこないのも12月のいいところですよね。年末進行。上司や取引先の風紀委員(ジャッジメントで変換したら風紀委員とでました笑なにこれw)も甘くなりがちになるので、まぁ、なんというか、楽しい12月を過ごせるといいんじゃないでしょうか。

 

今日は土曜日ですが、僕は出社してまったり仕事をしております。ブログも書いたりね。しておりますよ。ブログすきだなぁ。自分の好きなことを好きなだけかけるなんて最高じゃないですか。そんなわけで、今日もよろしくお願いいたします。

 

僕はフェイスブックが苦手でツイッター派なのですが、たまにFBを流し見しております。そこでとある広告を見ました。「ソーシャルアパートメント」。うわーー。なんでもSocialつけちゃうあれですね。今の時代Sつけとけばなんとでもなる。ナゥえ〜〜。ですね。まったくいけ好かない感じなのですが、映像がついており見てみました。ご親切に「動画の長さ6分」という注釈もあります。いいですね今時のSっぽい。だいたいwebで見る映像で6分ってめっちゃ長いんですよ。だいたい60秒〜90秒がみてくれる限界。一駅分なんてことも言われていますしね。で、その映像広告が何かと言うと映画館のあるアパートです。夢じゃんこれ!

 

誰しも映画館が自宅にあったらいいなーって思っていますよね。僕もその1人です。映画館が自宅にあったら、毎日だって映画をみたい。人も呼びたい。みんなでみたい。映画祭もやりたい。それが叶う家です。すごい。いいじゃないですか。オススメの映画を紹介しあったり、感想を言い合ったり、今度一緒にこれみない?って言ったり。見終わったらそこが自宅ですから、搬送ハードル激低いわけです。そのアパートに住んでいるひとみんな映画好きだからコミュニケーション爆ぶち上がりですね。あー学生のころこんなアパートがあったらどんなによかったろう。絶対に入居しますよ。って、あぁ。また年齢のせいにする、、。

 

今後映画だけじゃなく、いろいろなくくりのソーシャルアパートメントが成り立ちそうですよね。キッチンが広かったり、最新の料理の機材が揃っている料理アパートとか、めっちゃ広いジムとかプールがあるフィットネスアパートとか、図書館とか本屋がある読書アパートとか、ゲームとかさ。もう無限に広がりそう。そこに集まるひとはそれが目当てで来るわけですから、多少高めの家賃でも払いますし、入居率もかなり高くなるんじゃないでしょうか。そのコミュニティに属して、仲間ができるっていうものすごい価値を得ることができるわけですからね。家に帰ったら趣味が同じの仲間がめっちゃいるって最高じゃないですか。そういうテーマを持ったアパートってすでにいくつかあるみたいなのですが、なんかイマイチぱっとしない。そもそも僕のような一般人が知らないくらいですからね。

 

ちょっと前に、マツコさんの出ている番組で、ウイーワークっていうシェアオフィスが紹介されていました。青山か表参道か、そのあたりにあるめっちゃオシャレでいけすかない新手のシェアオフィスです。先日そこへ行く機会があり、行ったのですが「こりゃさいこうやで」と思いましたね。何がいいって抜群におしゃれなところですね。群を抜いているいるわけです。ここで働いたら何かスゴイことが起こりそうー!っていうふいんきなぜか変換できない)がビンビンでています。そういう理由のない「風」がとても大事だなぁと思うのです。だいたい人間のやることなんて気分ですからね。事実そっちのけで、自分やその人がどう感じるか、どう見るかに左右されてしまいます。こういった海外からの力任せゴリ押しなオシャレ感、謎の魅力のある施設っていうのは日本人だけではなかなか作り出せていない印象があります。いろんなシェアオフィスを見ていますが、あー仕事できない人たちが集まってるわーって空気なんですよね。ウイーワークは全くそれを感じませんでした。ソーシャルアパートメントもウイーワークのような謎の魔力ゴリ押しで展開して欲しいと思います。ショボいプロジェクター置いただけのガッカリ映画館はいやですからね。仕事じゃなく趣味なんだから本気でやって欲しい。まじで来て欲しい。圧倒的ソーシャルな空気を作って欲しい。そう思っています。

 

 

 

 

結婚式で乾杯を歌った話、

こんにちは、よしけです。久しぶりのブログを書いていきたいと思います。前回はもう1ヶ月くらい前でしょうか。(いやもっと前。この記事を書きかけてまた1ヶ月くらい放置しましたので。)どれくらいたったのかもよくわかりません。ブログを書かない期間もいろいろなことがあり、いつブログを更新してやろうかといつも考えているのですが、まぁ、書きたくなったら書けばいいですね。独り言日記ブログですからね。せいぜい好きにします。季節は秋真っ盛りで、都内も朝晩はもう結構寒いですね。秋というのは僕は大好きな季節です。本当いいですよね。夏が終わってちょっとテンションも落ち着きます。台風もない、花粉症もない、寒くない、暑くない。季節の起伏の激しい日本のなかでもわりと穏やかに暮らせる季節であります。そして何と言ってもご飯が美味しいですよね。ご飯がおいしいだけでも最高なのにね、いろいろ遊ぶのも最高、仕事やるのも最高。秋最高ですね。楽しみましょう。

 

先日、友達の結婚パーティがありました。僕、結婚式の類が心底苦手なんですよね。幸せでおめでたいイベントに苦手って言ってしまって本当に申し訳ないのですが、、。1年に50日くらいしかない大事な大事な日曜日の1日を使って、1年に1回くらいしか着ないスーツを引っ張り出して、ズボンが入らなくて、ぎゅうぎゅう肉を詰めて、ご祝儀はいくらなの?とか、封筒探して、ピン札下ろして、何か現場の手伝いが発生したりして、そのために事前に準備をして、、それで眠れなくて、とかさーーーーーー。マジで。どんだけ人の時間を奪いやがるんでしょうか?この幸せなイベントは。僕の時給いくらか知ってますか???。知ったらそんなこと頼めないよ。って思っちゃうんですよ。その人が嫌いとかじゃ全然ないですよ。祝いたい気持ちは本当にあります。でもね。この世で一番大切なのは時間です。時間がなぜ大切なのかって言えば、みなさんご存知のとおり「命」そのものだからですよね。だれかのために時間を使うっていうのは現物の「命」を差し出すっていうことです。それくらい重大なことなのです。

 

で、こともあろうに、この幸せなイベントで僕は「乾杯の挨拶」というやつを発注されてしまいました。あー終わった。乾杯の挨拶というやつは面白おかしく盛り上げないといけないし、つまらない話はもちろん、かっこつけた話もNG、長く話したらスパークリングがただのぬるいワインになるし、もう最悪です。スピーチなんてものは全くやったことがなく、作文も大の苦手。文章考えて、練習して、睡眠時間削って、どれだけ命を削ることになるのでしょうね。当日も緊張のあまり楽しめない。あー終わった。だからやなんですよ。これだから。で、いろいろ考えた挙句、長渕剛の乾杯をアカペラで歌うことにいたしました。おいおいそれ一番やばいやつやん???練習時間かかるし、ハズいし、スベるし、サムいし、キモい。

 

でも、まぁ、頼まれたからにはやるしかない。それしかないんすよ。頼まれて、おう!やるで!って言ってしまったら最高のクオリティを出すしかない。恥を晒しまくって、「コイツ終わったわ」って思われなければ失敗です。というか、それが狙いであり成功です。何かやろうとした時に「成功」か「失敗」かが発生する状態にしてはいけない。「成功」か「成功」の2択になるように仕掛けなければいけません。どう転んでも「成功」させる。そこまでもっていって初めてやる意味がでてきます。今回は長渕を歌えば「うまい歌声を聞かせて成功」か「下手くそな歌声でインパクト(思い出)を残して成功」かその2択に持っていきます。だから、全力で大声で歌うしかない。最低限耳に入る、耳に残る歌声をつくって現場に持っていかなければならない。

 

まず、youtubeで結婚式で「乾杯」を歌ってる人を検索しました。一番理想的な人を発見しました(笑)これをやるぞと。

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そして、練習しました。仕事の合間に新宿西口の大ガード付近のヒトカラに毎日2時間2週間こもりました。(カラオケ15年ぶりです)毎日2時間ぶっ通しで長渕。毎日2時間ぶっ通しで乾杯。2時間で14日ということは24時間長渕を歌ったわけです。あれ多分5分くらいだから、288回くらいですかね。82点から始まり、最終的には95点までだせるようになりました。でもね、これやはり機械的に音程変化させて取れた数字なんですよねー。気持ちを全くこめないでロボットみたいに歌ったら取れました。普通に歌うと92点くらいがいいところでした。残念。

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で、本番で、やはり乾杯の挨拶で僕の名前が呼ばれてしまいました。あー、、こんなの嘘だったらいいのにと思いながら前にでて、長渕。乾杯を歌いました。やはり本番では緊張しまくり、硬くなり、グラスを持つ手が震え。完全燃焼とまでは行きませんでしたが、それなりに任務を全うできたのでした。

 

20時間、ガチで練習すればなんとかなるもんすな。と、心と体にがっつり刻むことができました。この認識を叩き込むことができたのが一番の収穫となりました。やればできる!そういうもんや!。

 

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でさ、結婚式、終わってみたらめっちゃいい会でさ。(冒頭で散々ディスってたけど)小学校のときの友達とか、お世話になった先生とか、今一緒に働いている人とか、自分をつくってくれている人たち、支えてくれている人たちがたくさん来て、コミュニケーションとって。久しぶりだね、どうしてた?とかさ。ここでしかできない話をたくさんしているのをみてさ。ほんとやるべきことはこれだって思った。俺、仕事ばかりやってる場合じゃねぇ!身の回りの人を幸せにしないでいて、どうやって世界の人を幸せにできるんだよ!って思いました。近くが見えないで遠くなんて見えない。近所まで歩けなくて、遠くになんて走れるわけがないのよなぁ。

 

 

 

お祭りで型抜きをした話、

こんにちはよしけです。いつの間にか夏が終わり、なんだか肌寒い日もちらほらあるほど気づけばもう秋ですね。みなさんいかがお過ごしでしょうか。今日の東京は晴れて、空が高く、気持ち良い1日でした。世間さまは3連休とのことで、事務所は静かなものですが、僕含め男性陣はみな出勤しております。働きまくりですね。果たして良いことなのかどうなのか、、。

 

そんな中、外から太鼓の音が聞こえてきました。昨日と今日で近所のお祭りが開催されていて、お神輿が街を練り歩いているようです。夏の終わりのお祭り。いいですね。僕も仕事の合間をぬってちょっとだけ参加してきました。で、お祭りといえば出店ですね、的屋っていうんですか?あれを見て回るだけでも楽しいのですが、久しぶりに型抜きがあったのでやってみました。超なつかしい。子供のころはよくやりました。100円で二枚の型がもらえて、画鋲で絵の形に削っていく。うまくいけば1000円とかに換金できるのです。最高ですね。お小遣いの中でくじ引きをするか、型抜きをやって一発稼いでからくじ引きをするか悩んだものです。まぁ、うまくいかないでくじ引きできず、型抜きの堅い砂糖の塊をボリボリ食べて帰るハメになるのが関の山なのですが(笑)。ポイントは支給される画鋲を使わないということです。画鋲というのは、先が尖っていて、力が一点に集中してしまいます。そうすると、意図しないパワーが型に伝わってしまい割れてしまうのです。画鋲は使わず、左手で割りたくない場所を固定して、右手でゆっくりやさしく、細かく砕くようにしていくとうまくいくと思います。最初から細かく一点突破な作業をしようとしてはいけないのですなー。まぁ、それでもうまくいくことなんてあまりないのですが。

 

ちょっと話が横道にそれました、仕事の話に戻ります。

仕事がたくさんあるということはとてもいいことだと思うのですが、がむしゃらに働きまくっても意味のある場合と意味のない場合があります。それを見極めながら走るしかないなーと思っておるのですが、時代が変わりまくる今、確かなことなど何もありません。高い確率で明らかな未来というのもあるにはありますが(人口のこととか、技術的なこととかね)それを追うことが100%正解かというとそんなことは無いんじゃないかなーと思うのです。

そんな漠然としたことをぼんやり頭の中に置いておきながら、会社の運営をやっておるわけですが、不確定な世界で何かを決めていくことの難しさというのを日々感じています。「わけわからんことだらけなのに、なんで1つの結論を求められんのー??」ってな具合です。「これはこれ、はい、これね、これが答えです、ほいほい、こっちね。」とかね。即です。即。休日だって、夜だって関係ありません。東京の時間はまだまだとても早いから、即答することにかなりの価値があるんだろうなーと僕は感じています。が、それって超難しいんですよね。即答なのにもかかわらず、正解を叩き出さなきゃいけない。ファー!!まぁ、本当のところは必ずしも正解である必要はなかったりするのですが、正解だと嬉しいよね。っていう。正解じゃなくてもいい、ある程度「アタリ」や「基準」になるものでいい。そういうことなのですけどね。そのあとの時間でそこの解像度をじわじわあげていく。それが、不確定の世の中で確かなものに到着する手段の1つだなーと感じておる次第です。最初から一点突破で細かい作業したらダメなんですね。だから、一発目でガビガビなやつアップしても怒らないでYO.

 

 

 

飯屋に対するわがまま、

こんにちはよしけです。8月31日最終日ですね。東京はまだまだ暑く、今日も35度の予報が出ておりました。こんな灼熱の日でも長袖の人とかニット帽の人とかいて、都会は面白いなーと思います。

日記ブログをうたった僕のブログですが休み癖がついてしまいしばらく更新できておりませんでした。でも、読んでくださる人には全く関係ありませんし、新しい記事を投下しなくても毎日いくらかのアクセスがあります。書いても書かなくても同じくらいの数字をたたくのならば書かなくてよくね?とも思いますが、アクセスが欲しくて書いているわけじゃないので、たまにはこうしてだらだらと日常を吐露していこうと思います。これが頭の整理になっているので。そういう意味では、僕にとってブログは睡眠みたいなものですね。記憶のデフラグ作業です。そんなわけでたまにの記事だからといって気合いいれて書くのではなく、いつもどおりの低クオリティで行きたいと思います。今日もよろしくお願い致します。

 

今日は飯屋について思うことを書きます。都内のそこそこの飯屋の寿命はかなり短くガンガン潰れてガンガン新しい飯屋ができます。10年持つ飯屋は1割とも言われています。何故そうなってしまうのか、僕の個人的な観点から感想を交えて少し考えてみたいと思います。

 

飯屋の営業時間に合わない件 

最近、立て続けに飯屋への入店に失敗しています。「お、ここ美味そうや、入ったろ」と思って扉を開けると「今日はもう終わりですー」と言われてしまい入店できないのです。僕、臭いんですかね?そもそも昼時や夕飯時を逸脱した時間に飯屋に行くことが多いので、仕方ないことなのですが。お腹を空かせ、たくさんの飯屋から選んで、勇気を出して入店したにもかかわらず断られるのは心とお腹にかなりダメージが入ります。「もー行きたくねー!」とマジで思います。「営業時間終わったらまず先に看板片付けれ」とマジで思います。その店への苦手意識、トラウマさえ生まれてしまいますから、もう二度と行かない可能性が高くなります。あくまでも僕はですが。ただ、次回来たときに割引になるチケットをくれるとかそういう気遣いがあれば確実にまた行きます。だって一回入った店だからリベンジしたいし、入店ハードルは超えているわけですから。

 

飯屋は一発アウトな件

上記のように、飯屋でちょっと嫌なことがあると基本的には一発アウトです。都会には飯屋がたくさんあり、お腹を空かせた人は選択肢を無限に持っていますから、少しでも嫌なら行きません。僕は特に。店員が無愛想とか、空調が合わないとか、オーダーが遅いとか、水が無くなっても気づかないとか、自分の影で料理が見えないとか、トイレが汚いとか。そういうありとあらゆる点にアウトが潜んでいます。(お客は自分にも理解できる部分はとても気にするんですよね。飲食は他のプロの現場と違ってバカでも理解できてしまう部分にアウト点が多くあることも弱点です。僕ならこう運営するのになーとか僕みたいなニワカが湧きやすい。)一発アウトの最たるもので言えば食中毒もありますね。飯屋は一見誰にでも出来そうな雰囲気がありますが、医者や乗物ドライバーのような即死リスクのある業態だと思います。 飲食やってる人は本当にすごい。

 

立地とか気分で行く件

普段よく行く飯屋が美味しいかどうかってあまり関係ありません。まぁ、最低限のラインはあるかもしれませんが。行く理由は、近いからとか、そんな気分だからとかそんな理由です。僕が半年くらい毎日通いつづけたカフェがあります。コーヒーとベーグルを毎朝買っていました。美味しいコーヒーと美味しいベーグルだったのですが、ここ1ヶ月全く行っていません。理由は引っ越したから。引っ越したと言っても、全く別の所に引っ越したわけではありません。そのカフェに行くのに15歩くらい遠くなったのです。たった15歩。マジで15歩。これが理由でこのカフェに行かなくなりました。見えてるんですけどね、15歩ですから。僕としても「なんじゃそりゃ?」と思うのですが、本当にそれだけです。店員さんはいきなり来なくなったので不思議だと思います。近所なので顔も合わせますし。でも、朝の15歩は僕にとってかなり貴重な歩みなのです。味とか店主のこだわりとかあんま関係ありません。濃いもの食いまくってる素人に味よくわからないし。

 

すぐ飽きる件

僕は新規開拓が好きで、新しい店に行って新しいメニューを食べるのが好きです。新しい発見、新しい味は楽しいものです。基本的には同じものを食べていると飽きますよ。よほどいい店や、思い入れのある店でもなければ何回も同じ店に行くことはありません。だから多くの飯屋は1回行けば十分です。

 

飯屋はサイクルなんだなー 

そんなわけで、本当に些細な理由でその店に行くか行かないか決まってしまいます。普段行くそこそこの店に味の勝負はほとんどありません。だいたいみんなうまいから。お店にとってはちょっと理不尽だと思いますが、都市部の飯屋天国な状況がそういう側面を生んでいると思います。いくら飯屋が閉店しても構わない。いくら飯屋が開店しても構わない。潰れるべくして潰れ、生まれるべくして生まれる。そのサイクルがめっちゃ早い。そのことに悲観的になる必要はなく、他の業界や業態とはちょっと別だと考えた方が良いんじゃないかなーと思います。新しい飯屋、開店してくれよな!。

 

 

 

 

最近の松屋事情、

おはようございます、よしけです。東京は昨日あたりから朝晩の気温が下がり、突然秋が始まった感があります。空が高く、爽やかで気持ちいいですね。お盆休みは終わりかけていますが、ギリギリこの土日は穏やかに過ごせるんじゃないでしょうか。どこかに行く人は平成最後の夏楽しんできてください。僕はこの急激な気温の変化に対応できず、喉が痛くなり少し咳が出るようになってしまいました。体も重い感じがしています。週明けまでには良くなるといいのですが、、。

 

朝早く起きたので、近所の松屋さんに朝定食を食べに行きました。しばらく店舗のリニューアルで店を閉めていたのですが、最近また営業を始めていました。新しい店舗はセルフ化が進んでいました。これも少子高齢化の流れの1つだなーと感じました。

松屋は食券タイプで、席に着く前にメニューを選び、食券を買う必要があります。食券を買った時点でオーダーが厨房に伝わります(前からそうでしたが)。声を発することなく、完了するシステムは僕は大好きです。初期の松屋は、朝定食のチケットを買った後に小鉢の選択を自らの肉声で店員さんに伝える必要があったと記憶しています。これがなかなか面倒でした。寝起き&滑舌の悪い僕は小鉢の選択すらうまく伝えられなかったのです。

そんなわけで、食券ボタンを押すとオーダーが通るので、番号で呼ばれるのを待ちます。このタイミングで以前であればお茶かお水が出てくるのですが、出てきません。セルフサービスで、取りに行きます。そして、以前はプラコップだったのですが、なんと紙コップに変更されていました。洗う手間や、管理の手間を省いていますね。でも、お水や、お茶、ホットか、コールドか、など自分の好きな飲み物を選ぶことができるようになりました。これはいいですね。以前だと冷たい水が出てきて、本当はあたたかいお茶がよかったなーと思うこともありましたからね。コミュニケーションコストもかなり下がりますよね。僕みたいな「水ではなくお茶が飲みたい超絶ヤベーヤツ」がきてしまった時のトラブル回避にもなります。うまく手間を省きつつ、お客さんに合わせた飲み物も出せるというかたちになりました。

お茶をスタンバイしていると、番号で呼ばれます。これが肉声でなく録音されたアナウンスです。そして厨房のカウンターにお客さんが取りに行きます。基本的に厨房から店員さんが出なくてもすむように設計されているので、お客さんとの接点が出来上がった料理を渡す瞬間しかありません。本当に至るところで省力化しています。いかに少人数で働けるか、いかに楽に働けるか、いかに不確定要素を排除できるか。できる限り自動化機械化しています。僕が行ったタイミングは朝でしたが、2人の店員さんがいました。でも、この仕組みなら確実に1人でできるでしょう。いや、人間の店員さんがいなくても十分回るところまで、見えたような気がしました。

 

今後、ファストフードはこの流れがガンガン加速していくことでしょう。日本の人口が減っていくに従い、お客さんが少なくなり、売り上げも落ちて行きます。でも、給料を下げるのは難しい。店員さんの数は少なく、より働きやすい環境にしていくことが今後どの業界でもより必要になるでしょう。新しいテクノロジーや様々な工夫が、取り入れられていくでしょう。便利な未来の社会。とても楽しみでもあり、ちょっと寂しくもあります。だって、食器がプラスチックとか、紙とかあまり嬉しくないですよね。椅子が固定されていたり、テーブルの調味料が固定されていたり、誰がつくった食べ物かわからない食事ってなんだか寂しいですよ。便利だけど、豊かではない。そういう世界のような気がします。