代々木ではたらく

これからの働き方を考える

ニンテンドーラボについて思うこと、

任天堂がまた何やらワクワクする遊びを届けてくれた。

1回見た人も、もう1回よく見てから読んで欲しい。

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ニンテンドーラボっていうらしい。

Nintendo Switchのコントローラーとダンボールを組み合わせて、いろいろな形や、機構を作り、インタラクティブに遊ぶ。完全に現代アートだよね。しかも組み立て方や、使い方までしっかりすぎるほどデザインされてて、アートとデザインが物凄い高いレベルで合体している。すごすぎる!。これをサラッと(そう見える)やってくるんだから尋常じゃない。勘弁してくれ。この後にもたくさんのパターンが用意されているみたいだし、何よりダンボールだからコストがかからないのがヤバい。(金かければ面白いなんてただの「刺激」でしかないからね。)アイデアがあったらすぐに実験できる。なにも支給されたダンボールじゃなくてもいいはずだし。自分でプログラムを組める仕組みも提供されそうだ。そうなれば、野生のプロや大きいお友達が黙っていないだろう。ニンテンドーラボはそんな眠っていた創造力も呼び覚ます。

 

子どもの頃の僕だったら、のたうちまわって喜んだことだろう。すげぇ!!って。俺が求めていたものが全てありやがる!!って。クラスでラボ博士って呼ばれたくて仕方なくなると思う。

当時の僕は工作が大好きでダンボールはもちろん、サランラップの芯や、面白い形の化粧箱、新聞紙、方眼紙、ペットボトル、クッキーの缶、たこ糸、竹ひごなんかが大好きだった。チョコボールのクチバシの機構で悶絶していた。それを組み合わせていろいろなものを作っていた。小学校の図工の時間は本当に天国だったし、いろいろな賞ももらった。絵もまあまあうまかった。中学校に上がると図工の時間がないことに愕然とし、美術の世界に入ることはなかった。そこで僕の人生は1回終わった。僕は美術じゃなくて図工が好きだった。中学になっても工作は大好きで、ボールペンをくり抜いて、スプリングを入れ、BB弾を連射できるように改造したり、バルサ材でバスフィッシングのルアーを作ったりしていた。今もその延長上にいる。やはり美術界ではないけど。

 

で、ニンテンドーラボに戻る。

子どもの頃の僕はこれを見たら死ぬほど喜ぶし、のたうちまわる。しかし、やっぱりどこかで物足りなくなるんだと思う。僕が作りたいものは設計図があるものじゃない。これこれこうすると「完成」します!。って書いてあるものじゃない。それは「完成」じゃんもう。それ以降はどうしたらいいの?。完成したものはもうそこで終わりなんだよ。小学生の僕は無限の可能性が欲しくて図工をやっていた。矛盾しているようだけど、ずっと完成しないものが欲しい。本当に欲しいものは、永遠と作り続けられる何かなんだ。ああしたらいいか、こうしたらいいか。「いい」っていう状態を目指して、ずっとバランスを取り続けるような感じで。ずっとガチャガチャっていたいんだ。

 

本当に面白い遊びっていうのは、遊びを作ることだと思う。

気づけば昨日書いた記事「作業と仕事は違う、」にも同じことを書いていた。働くことが楽しくなるのは「作業」をしている時じゃなくて「仕事」をしている時なんよね。ずっと「作業」をしている人は働けば働くほど辛くなっていくし、給料は減り続けるけど、「仕事」をしている人は働けば働くほど楽しくなっていくし、当然のように成果が積み重なっていくからどんどん収入が上がっていく。

それと同じように、誰かに作ってもらった遊びっていうのは、どこかで飽きてしまう。それは上限がなんとなく決まっているから。でも、自分で遊びのルールを考えて、こうしたらもっと面白くなるんじゃないか、ああしたらもっと面白いんじゃないかって、試行錯誤して無限にガチャガチャやるのが本当に面白いんだ。

 

もしかしたら、ニンテンドーラボは面白さの上限を無限に開いてくれるんじゃないかとも思っている。今回発表されたキットは、まだ天井が見えている。でも無限の可能性をビンビン感じる。また、終わらない何かを永遠にいじり続けることができるかもしれない。これからの展開に本当に期待しているし、僕もそこにいたいと思う。

俺にガチャガチャやらせてくれー!!

 

 

 

作業と仕事は違う、

昨日の「便利さと豊かさは違う」というネタに引続き、今日も一瞬同じかと思うけど全然違うシリーズをやってみたいと思う。今回のネタは「作業と仕事は違う、」です。

 

今朝8時の東京は曇っていたが気温が7度くらいあった。結構あったかい。普段は同じ時間だと2〜3度だから、5度も高い。ところが夕方頃には雨が降りだし、極寒。雪でも降るのだろうか、、。

ここのところ、ぼっちに優しい飲み屋を開拓し続けている。夜は毎回新規のお店を訪問する。初めてのお店はとても緊張感があるし、新しい食事に出会えるのでとてもいい。しかしながら年齢的なものなのか、お酒を飲むと酔いが回るのが早い。日本酒1合で結構くる。1人で飲んでいるため、誰もフォローしてくれないのが怖い。このまま飲み続けたら帰れなくなるかも、、。お会計きちんとできるのかな。歳には抗えない。

 

若者にも先輩にも勝てない

体力面でも、年齢による衰退が容赦ない。「30歳過ぎると、ガクッとくるよ」とよく聞くけど、まさにそれを辿っている。働き方にも確実に影響が出てくる。20代には想像もできなかったことが、これから僕の体にも起こってくるのだろう。それをじわじわ感じはじめている。徹夜できなくなったり、長時間集中が続かなかったり。若者にはもう勝てない。先を走っている先輩方も本当にすごい。体力が激減していく中、戦い続けているのだから、どれだけ原資が大きいんだよ全く。後輩には詰められる、先輩には差を広げられる。僕は走り続ける自信がない。

 

「作業」と「仕事」の違い

体力や集中力が激減し続ける中でも、当然のようにいいパフォーマンスをたたき出さなければいけない。そのためには、より効率的に時間を使う必要がある。30歳を過ぎれば、無駄にできる時間は1分1秒ない。どんどん眠くなっていくし、どんどん鈍足になっていく。夕方になればもうほとんどHPは残されていない。少なくなったHPで、何ができるか、どうすれば効率的に成果を出すことができるか。頭を使って働けるかどうかが「作業」と「仕事」を分ける大きな違いになるのではないだろうか。

 

「作業」と「仕事」って違うのか?と一瞬思う。同じじゃない?仕事の中に作業があるんじゃないの?と言う雰囲気もある。でも、よく考えると違うよね、やっぱり。

 

「作業」というのは決められたことをやる。ルールやガイドライン、仕組み、設計図などに従って、その通りに働くことだ。

「仕事」というのは簡単に言えば「作業」を生み出す側の方。ルールを作ったり、ガイドラインを作ったり、仕組、設計図を作ったり。新しいことを考え出すのが「仕事」だ。

 

20代は作業をしていれば良い部分がある。まず社会のルールを覚えて、ガイドラインに沿って進んでいく。仕組みや組織の中で、設計図に従ってガンガン働く。「作業」に明け暮れるためには体力がいる。20代はこれで精一杯。それでいいと思う。社会の仕組みを体に叩き込む。問題はそれ以降だ。30代も引き続き「作業」をしてしまうと確実に20代に負ける。体力が続かないのだ。

社会人になって10年。30代は「仕事」をしなければいけない。しかし「作業」の延長上に「仕事」は無い可能性が高い。「仕事」で必要なものは体力ではなく、頭だからだ。(稀に20代で仕事ができる優秀なやつがいるw)頭を使ってルールを作り、ガイドラインを敷き、仕組み、設計図を作る。「作業」から「仕事」にシフトするためには、周りで起こっていることをよく観察して、勉強しまくって、実験し、失敗し、反省し、また観察し、、ということを意識して繰り返していく必要がある。「作業」をやり続けても「仕事」ができるようにはならない。

 

そして今はもっと問題がある。この「作業」と言う部分は、今後AIとロボットに置き換えられていく部分だ。(「仕事」の方もいずれ置き換えられていくと思うけど、まずは「作業」から置き換えられていく)30代で「作業」をしている非効率な人間から置き換えは始まる。20代後半でまだ「作業」をしている人は「仕事」へのシフトを念頭に行動する必要があるだろう。

 

 

便利さと豊かさは違う、

先日ラジオを聞いていたら、「便利さと豊かさは違う」という話を聞いた。僕は何に便利さを感じて、何に豊かさを感じているのだろう。

 

今日も東京はよく晴れた。気温も結構上がっていたんじゃないかな。お昼に外に出たら結構暖かかった。これくらいの気候だと過ごしやすいんだけどね。明日はまた少し崩れるみたいだ。体調管理しっかりね。

先日、1日休みをとり夢の国へ行ってきた。何回行っても感動する。アトラクション、映像、スタッフ全員がプロフェッショナルとして最高のパフォーマンスを発揮している。どれだけ努力すればあそこに立てるのだろうか。その背景を想像すると泣きそうになる。本当凄い。夜のシンデレラ城、今は「フローズンフォーエバー」というアナと雪の女王をテーマにしたショウをやっている。照明、映像、レーザー、花火を使った光のショウ。演出のうまいことうまいこと。人工雪にレーザー当てるって反則でしょ。きれいすぎるよ。(泣)

 

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その時の写真を貼ってみる。この画像はインターネットを通じて誰でも瞬時に見ることが出来るわけだ。スマホ1台あればいろいろな情報にアクセスできる。それはとても便利なことなのだけど、、実際にその場で見るのとは全然違う。今日は、便利さと豊かさについて考えてみたい。今夜もよろしくお願いします。

 

「便利さ」と「豊かさ」と聞くと、一瞬同じことのように思える。「ああ、なんか良い感じ」ってことね、と。改めて両者を比べたとき、僕は何が違うか答えることができなかった。江戸時代に比べて、現代は便利で豊かになった。っていうよね。多分みんなそう思っているはず。でも、実際にはなにが便利で、何が豊かになったんだろう。

 

辞典で調べると

便利=都合の良いこと、役に立つこと

豊か=満ち足りていること、不足せず、十分、

とある。

 

江戸時代、東京から大阪まで歩いていた。毎日ひたすら歩いて、2週間ほどかかっていたらしい。今は新幹線で3時間くらいで行ける。とても便利だと思う。しかし、これが豊かなことなのだろうか。ある意味では違うのではないかと思う。もし、これが東京から大阪までの旅だったら、道中で綺麗な景色を見たり、各地の美味しいものを食べたり、新しい出会いがあったり。たくさんの経験ができる。大阪まで行く間、ゆっくりと旅をすることで、充実し満ち足りた時間を過ごすことができるだろう。3時間の旅ではそんな時間を過ごすことはできない。一瞬で景色は過ぎ去り、少しでも寝てしまえばもう大阪だ。名古屋も京都も楽しむことはできない。それは便利かもしれないけど、豊かとは言い難い。

 

便利さ=時間を省けること。豊かさ=時間を使えること。なんじゃないかなと思う。「便利さと豊かさは違う」と言うのは、違うどころか、全く逆のことなのではないだろうか。無駄な時間を減らして便利に。かけるべき時間を作ることで豊かに。二つの時間を自分でコントロールできれば、よりよく生きていけるのではないかなと思う。

 

 

 

 

時間をゆっくり流す方法(後篇)、

3日連続で、同じタイトルでやるとは思わなかった。どうやら僕はよほど時間をゆっくり流したいらしい。小学校6年生の時の文集に「一番大事ものは?」というアンケートがあった。それに「時間」と答えている。12歳でなにが「時間」だよ(笑)って感じなのだが。それほど時間に興味があったのだと思う。しかし、モモは読めず途中で挫折した。時間を貯金するみたいな話だったような気がする。

 

3日も同じテーマでやるのは申し訳ないけど、時間をゆっくり長す方法は今日で終わるので。どうかひとつ、おつきあいいただけたら嬉しいです。いつも読んでくださって本当にありがとうございます。今日も宜しくお願いします。

 

時は流れて、僕は社会人になった。本も映画もゲームも大好きになった。(いまだにモモは読んでないけど。)特に映画は大好きで、仕事から帰ると毎日DVDで映画を見ていた。当時新卒で入った会社は激務で、終業は24時を越えるのが普通だった。そして25時くらいに映画を見始める。終わるのが27時くらい。深夜3時だ。そんな生活を毎日繰り返していた。つまらない映画は途中で寝てしまう。気づけばメニュー画面に戻り、さらにしばらく何も操作しないとまた本編が再生される。寝たり起きたりしながらぐるぐる映画が流れ続ける。今、映画のどの辺りを見ているのか。このシーンは見たことがある。そういえばエンドロールがさっき流れていた気がする。この人は何回死ぬのか。あれ、オープニングがまた始まってる。うとうとしているうちに、何週も回っている。夢と現実と映画が混ざり合って、何がリアルな記憶なのか全然分からない。夢と現実と映画が全部並列に自分の記憶として定着していく。そういうふわっとした時間がとても好きだった。

 

映画館でもよく寝ていた。

映画の途中で寝てしまい、起きたときにまだ映画がやっていると、僕はなぜかとんでもなく幸せな気持ちになるのだ。すごく長いあいだ映画館にいるように感じる。寝ている間は2分とか3分とか、それくらいの短時間なのだけど、意識がない時間は永遠のブランクに感じている。浦島太郎の逆のような感覚。たった2、3分寝ただけでも、一晩をそこで過ごしたような、夜を越えるような感覚がある。とてもゆっくりとした、贅沢な時間が流れているように感じる。映画の内容はもう分からないのだけど、自分の感覚の時間軸と、時計の針が刻む時間軸と、映画の中の時間軸がぐちゃぐちゃに混ざりあう。そういうふわっとした時間がとても好きなのだ。

 

 

 

 

 

時間をゆっくり流す方法(中篇)、

東京はよく晴れている。気温は低いものの日向は暖かい。僕はいつも通り出勤している。仕事もプライベートもごちゃ混ぜ。オンもオフもない。これどうなの?とも思うけど、仕事面白いし、仕事場にいると落ち着く。仕方ない。今日はこれから始まる仕事の下準備と、事務処理を少し。弊社は給料日が15日なので、その手続や書類作りをやっている。1月から社員の基本的な給料を上げることにしている。給料の調整には色々な理由があるけど、大きな理由は幸せに暮らして欲しいということに尽きる。各個人のプライベートに対して僕ができることなんて給料を上げることくらいだからね。会社としてできることはやっていこうと思う。代わりに僕の給料を半減させた。トータルでかかる月の人件費は少し下がる。社会保険も凄まじいし新事務所で家賃も増えている。ちょっと会社にお金を残しておかないといけない。

 

今夜のネタは昨日に引き続き、時間をゆっくり流す方法について考えてみたい。日曜日の夜、どんな時間を過ごしているだろうか?。今夜もひとつお付き合いのほどよろしくお願いします。

 

子どもの頃、冬の季節にはよくスキーに連れて行ってもらった。実家は関東平野にあり、新潟県のスキー場に行く。車で行くこともあった。関東から新潟に向かう高速道路には、群馬県新潟県を繋ぐ関越トンネルがある。全長10kmある長いトンネルだ。子どもの頃の僕はこのトンネルが大嫌いだった。狭い場所が怖い、閉所恐怖症だった(エレベーターとかトイレの個室もこわかった)。そんなこともあり、この10kmあるトンネルがとてもとても長く感じていた。永遠に抜けることができないような気がして、早く終わってくれと恐怖で震えていた。その当時、このトンネルがどのくらいの長さなのか知らなかった。

 

この「どれくらいの長さか知らない」ということが時間を長く感じさせるような気がする。何が起こるかわからない緊張状態が、時間の流れも敏感に感じ取らせる。子どもの頃にはその感覚が強いように思う。周りは知らないことだらけ、常に新しいことが起こり、新しい発見がある。大人になると、だいたいのことは知っている。経験したことも蓄積するし、TVで見たとか、ネットで見たとか。色々な手段として知っている。オーロラを実際に見たことがなくても、色々な情報をつなぎ合わせて、だいたいどんなものか想像できる。宇宙に行ったことがなくても、プールの無重力感、NASAの映像、飛行機の感触、などからなんとなく想像できる。だいたい分かってしまえば、TVや写真だけでいいやと思ってしまう。新しいことをやらなくても生きていけるし、毎日のサイクルで精一杯。なんとなく過ごす時間で人生が埋め尽くされてしまう。気付いた時にはもう、、終活ノートの前で途方に暮れているということになりかねない。

 

そこで、ここからが本題「時間をゆっくり流す方法」だ。前置きが長かった。新しい発見を常にしていけば、時間はゆっくり知覚されるのでは?と思う。今までの人生でやったことがないことは?なんて、大げさなものじゃない。映画とか本とかは毎月新しいものが出てくる。そういうのでいい。僕がオススメなのは、行ったことがないご飯屋さんに行くことだ。これはかなりいい。五感全てに新しい感覚をぶち込むことができる。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。全て新しい刺激を受ける。初めて見る空間。初めて聴くBGMとノイズ、大将の声。初めて触れる椅子とテーブル。初めての味。初めての香り。全て新しい。そして、新しいお店に入る瞬間のある種の恐怖。どんな店かな?って思う。僕は本当に怖い。初めて会う店員さんと対面する。それら全てが混ざり合い、いい緊張感でご飯を食べる。

 

ちょうど昨日行ったお店がそれだった。マンションの1室を改装した小さいお店。ドアの前まで行って立ち尽くした。開けるのが怖い。本当に帰ろうと思った。でも、ここまで来て帰るわけにもいかない。ドアノブに手を掛け、ゆっくり回した。10畳くらいだ。すぐそこに大きいテーブルがあった。テーブルの反対側はキッチンになっている。僕1人と、店員さん1人だけの空間。小さい土鍋で炊いた真っ白なご飯と、キャベツの味噌汁。帆立の小鉢。何も話すことはない。いい緊張感。静かで、ゆっくりした時間が流れた。

 

 

 

時間をゆっくり流す方法(前篇)、

1月13日。まだ今年になって2週間たっていない。しかし、もう2週間が過ぎ去ってしまう。大人になると時間の進み方が早くなるという。いくつか理由が語られているのだけど、僕がもっとも同意できる説が2つある。

 

1つ目は、大人になると時間の分母が大きくなるからというもの。10歳だと1時間の感じ方は1時間/10年。しかし、30歳だと1時間/30年。10歳の人に比べて、30歳の人は3倍くらい時間の流れが早く感じるということになる。

 

2つ目は、大人になると空間の分母が大きくなるからというもの。使える空間が広くなり、相対的に自分の行動に時間がかかるようになる。小学生の頃は、1日に動ける範囲が狭いから、移動にかかる時間も少ない。活動内容も少ないため、1日の中で色々が完結していく。大人は行動できる範囲や、活動内容が大きく、そのぶん時間がかかる。1つの行動に1日とか数日とかかかるようになる。移動だけで1時間使うとか。打ち合わせに出たら半日終わるとか。「時間が足りない」と感じることが増える。背が高くなり俯瞰できる広さも増えることも一因かと思う。将棋の駒を1つ動かすために、子どもは1つのコスト、大人は3つくらいのコストがかかるイメージだ。

 

上記の2つの感覚が合わさって、大人の時間はどんどんなくなっていく。お正月に実家に帰った時、おじいちゃんが「あっという間だぞお前」と言っていた。その通りの感覚なんだろうなと思う。今は一瞬で過去になる。そして「過去」なんて場所はない。同じく「未来」という場所もない。ずっと今を生き続けていく。おじいちゃんも僕も、今しかない。次の瞬間、その時がきてしまうのだ。僕も一瞬でおじいちゃんの歳になるだろう。

 

僕は小学校の頃、その感覚に抗う方法を考えたことがある。学校の授業や宿題をやる時間はなんて長いんだろう。全く退屈だ。でも、友だちと遊んでいる時間、楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。どうにかせねば。そこでひらめいた。時間を遅くする方法。それは、時計の針をずっと見続けることだ。1秒1秒進んでいく秒針を見続ける。時計を見ないでしばらく放っておくと、いつの間にか針が進んでいる。夢中になって遊んでいる時は時計のことを忘れている。思い出した時にはもう帰る時間になってしまう。でも、時計の針を見続ければ、針はゆっくりと、1つ1つ進んでいくのだった。今この瞬間を1秒づつ確実に感じることができる。

 

時間を確実に噛みしめるためには、1つ1つカウントすることだ。大人になった今、時計をずっと見続けることはできない。でも、時間の流れを意識して生活することはできる。ぼんやり過ごすことをやめたり、1日のスケジュールを決めたりすることでもいい。1時間ごとに跳び出す鳩の時計とか超最適だと思う。1時間ごとに、時の流れを感じられる。次の1時間はどう動こう?と思える。1時間単位ではなく、1日単位でもいい。毎日日記をつけることで1日1日を感じていくことはとても大事だと思う。僕はそれを実行している。日記が難しければ、簡単なメモでもいいかもしれない。カレンダーに毎日マルをつけることでもいいだろう。とにかく、時間の経過を記録して、1つ1つ区切って、時間の流れを意識して感じていくこと。そうすれば、猛スピードで駆け抜けて過ぎ去っていく時を少しゆっくりにできると思う。

 

 

 

 

 

人間に残された最後の仕事、

心を大事にしやがれ、という話をしたい。

 

今夜の東京は寒い。天気予報では最低気温マイナス3度となっている。寒い。心なしか体調も優れないような気がする。今夜はお風呂に入って、お酒を飲んで、湯たんぽでもつくろうかと思う。近所のカフェにホットワインがある。行ってみよう。寒い夜というのは何となく街が静かで情緒がある。僕は10年くらい前、雪国に住んでいたのでその時のことを思い出す。お酒が特においしい。みなさんも寝るときは暖かくして休んでほしい。それでは今夜もよろしくおねがいします。

 

1月に入ってしばらく経っても、仕事がスムーズに進行していなかった。取引先の都合でスケジュールが伸びていたというのもあるけど、ここ数日は結構不安になっていた。このまま仕事がストップしてしまったらどうしよう。新規もなくなって今後何もやる事が無くなったらどうしよう、、と。信じてついて来てくれる社員を路頭に迷わせる訳にはいかない。以前もよくそんなダウナーな気持ちになっていたが、そんな心配はいつも無意味なことだった。今回も。打合せは再開され、メールや電話でのやり取りも復活した。新規案件も次々と舞込み、一安心。仕事が無くなるんじゃないかと不安になっても、結局2、3日くらいのことで、その後はまたいつも通りの激務に突入していくのだ。

 

僕の仕事は、メールや電話だけでも事足りる。インターネットとパソコンがあれば成り立つ。実際そういう案件も結構あり、フェイスブックのメッセージや、LINEだけで会話して、仕事を受注し、そのままオンラインで納品。相手の姿どころか、声すら聞かないで仕事が終わってしまうこともある。素晴らしいと思う。インターネットありがとう!パソコンありがとう!この仕事をやる上で、この2つの進歩にどれだけ助けられ、恩恵を受けただろうか。今の時代に生まれて僕は本当に運がいいと思っている。作業場から1歩も出ず仕事ができる。冬は暖かく、夏は涼しい。最高な環境だ。

 

インターネットのおかげでどこにいても仕事ができるようになった。山にいてもいい。海にいてもいい。家賃の高い東京を離れ、田舎で古民家を改造して自分で挽いたコーヒーを入れて、ゆっくり仕事をするのもいい。雑念から解放されて、仕事のクオリティも上がりそうだ。いつかはそんな暮らしもしてみたい。

 

今、僕は東京の西海岸、代々木にいて日々試行錯誤しながらのたうち回っている。仕事を一緒にやるクライアントさんの近くにいたいという想いがある。実際に顔を合わせて、直接話をする事がとても大事だと考えている。わかる、「そんなのは時代錯誤だ」と言いたいのは。メールや電話だけでも、もちろん仕事はできる。文章やデータでのやりとりは会話よりも確実に事実が伝わる。そしてとてもスピーディ。誰の時間も無駄にしない。しかし、メールだけでやり取りしていた人に実際会った時、気持ちが大きく変わるということを何度も経験している。顔を合わせて話をし、打合せしている時、「この人のためなら一生懸命頑張ろう」と思ったことが何回もある。というか、いつも思っている。メールだけの関係よりも何段階も深いコミュニケーションが取れている。

 

これからどんどんオンライン上でのコミュニケーションが活発になっていくだろう。人工知能やロボットがそこに参加してくることも想像できる。そんな中だからこそ、人と人が対面して会話するということの重要性が増してくると思う。人間にできることなんてもしかしたらそれくらいかもしれない。時間を合わせ、場所をあわせて、顔を合わせる。こんな一昔前には当たり前だったことがめちゃくちゃ重要なことになるはずだ。この先、人工知能がクライアントになることもあると思うし、ロボットと一緒に作業することもあると思う。でもその終点にいるのは確実に人間だ。その人間は何で動いているかと言えば、心で動いている。だから、これからもっと感情を大事に扱いやがれ。と思っている。人間に残された最後の仕事が「心を繋ぐ」ということになる。

 

評価経済と言われて、価値がどこにあるのかと言えば結局は人の心だと思う。今までは権力や資本、数字で経済を回していた訳だけど、それはもう散々いじられ尽くされて解読し尽くされている。そこで測れる価値というのはどうやったら手に入るか分かりやすいから簡単なのだけど、人の心を手に入れるのは難しい。その分、これからの強力な武器になる。人望が厚く、周りに自然と人が集まってくるような人は、どんなに権力やお金を持っている人よりも強い。これからの主人公になっていくだろう。

 

はれのひ事件で、「振り袖を着ることになぜそんなにこだわるのか?」「振り袖着たいなら成人式じゃなくてもいいだろ」「成人式に行きたいだけなら振り袖いらんじゃろ」とか言っている人たち。いい加減にしろ。感情を大事にしやがれ 。人が大切にしているものをバカにしてはいけない。そこに価値が生まれている。クリスマスにディズニーランドに行く意味。その日にしかできないことがあるんだよ。そんなに無駄なものを排除したいのか。無駄なものを排除した世界に生きたいのか。そこがどんな世界か想像したことはあるのか。なら、お前の生に意味はあるのか?