代々木ではたらく

これからの働き方を考える

プロフェッショナルの仕事、

今夜は京都にいる。

 

プロフェッショナルの仕事

海外に比べ、日本はサービスがすばらしいとよく話題になる。それは時に、過剰なほど。先日電車が20秒早く発車したことに鉄道会社が謝罪した。それが海外のメディアで取り上げられた。真面目の域を越えている、、と。さすがにこれはやりすぎだと思う。だが、その反面、バカ真面目すぎて愛せる。とも感じる。疑いの余地がないというか、自分の間違いを「間違い」と認識してきちんと謝罪できることはとてもすばらしいことだと思う。これをプロフェッショナルの仕事だというのはちょっと誤解を招きそうだけど、1点の妥協も無いという意味でやはりプロフェッショナルだと感じる。こんな綿密なサービスを日々受けているのだと気づかされた出来事だった。

 

京都の仕事、 

今日は休暇をいただいて、京都に来ている。紅葉シーズン真っ只中。葉の色が緑から黄色、赤まで一本の木のなかでグラデーションしていた。

京都にはプロフェッショナルの仕事をする人たちがたくさんいるというイメージがある。京都には神社やお寺が多く時代を超えてプロフェッショナルの技が受け継がれている。装飾や彫刻、その仕事を参拝させていただいた。中学校の修学旅行以来だ。

 

そして、僕たちが大好きな任天堂がある。任天堂のゲームは本当に細部にわたり気を使ってつくられている。古いゲームであってもその「遊び」は色あせない。いつやっても「楽しい」と感じさせてくれる。古くならない面白さの成分がどのゲームにも乗っている。それは多分、アクションだったり、画面のナビゲートだったり、レスポンスだったり。1つづつの要素はとても細かいものだと思うのだけど、全体に影響を与える要素のため、効果は大きく、最終的な完成度までも決めている。そういう1つ1つの細かな積み重ねが長く楽しめるゲームができているのだろう。

 

お金をいただくこと、

自分は日々の仕事の中で、そんなプロフェッショナルの仕事ができているのだろうか?毎日の忙しさにまぎれて、適当になっているんじゃないか?きちんと俯瞰して見ることができているのだろうか?

旅館の中でもプロフェッショナルとしての細かな仕事を感じた。お客さんが到着したときの挨拶だったり、部屋への案内、料理を出すタイミング、様々な気遣い。1泊するだけで宿泊費は数万円かかる。お客さんに高いお金を出してもらえるサービスを提供することがどれだけ大変なことなのか。また来たいと思えるサービスにするためにはどれだけの努力が必要なのか。旅館の仕事を見せてもらいながら考えていた。自分の仕事はその金額を出してもらうのに値しているのだろうか?

 

京都の旅は、プロフェッショナルとしての立ち振る舞いを改めて感じさせる。

明日も1日京都をまわる。 

 

 

神社について、

今日は毎朝参拝している神社について少しだけ書きます。

 

七五三を見た

僕は毎朝ランニングをしていて、近所の神社まで行く。今日は少し寝坊ぎみ&仕事もあったため、夕方頃に神社へ参拝した。日曜日ということもあって、人がいつもより多かった。その中に七五三で来ている家族がいた。男の子の七五三で、袴姿で千歳飴を持っていた。とても久しぶりにその光景を見た。今でもやっているんだね。今見ると、なんだかとても贅沢なイベントに感じる。

僕も七五三やってもらったことを思い出した。とても懐かしい。はるか昔のようで、今とはだいぶ時代の雰囲気も違ったよなーと思い返す。ファミコン、CD爆売れ、たまごっち、プレイステーションダンスダンスレボリューション。そんな感じのものと過ごしていた。元気あったよなー。

 

神社、行く? 

みなさんは年に何回神社に参拝するだろうか?年1回って人がほとんどだと思う。お正月に行く初詣だけの参拝。僕も去年まではそうだった。もしかしたら年に1回すら行ってない年もあったかもしれない。それが、朝ランニングをするようになって、毎日行くようになった。ちょうどいい距離に神社があったのだ。

 

お願いごとの意味が分かった

毎日参拝するようになって、なぜ神社に行く必要があるのかが分かった気がした。

神社に行って、神さまに祈るだけで願いが叶う、漠然とそう思っていた。でもそんなとても非科学的なこと、、ねぇ、、ないですよ。多分。本当はそうじゃない?違う意味があるのだと思う。

お正月、初詣に神社に行くと手を合わせ、お願いごとをする。「家族が健康でありますように」とか、「受験がうまく行きますように」「商売が繁盛しますように」とか。1年間こういう年でありますようにと。それが「今の自分の願いごと」なのだ。「自分の願いごと」忘れていたでしょ?それが具体的に判明する。自分が何を気にかけていて何を望んでいるのか。漠然と過ごしていると、何を目指しているのか曖昧なまま日々を繰り返してしまう。神社の前に立つと、それが明確になる。神に祈るというより、自分は何を目指して何を望んでいるのかを思い出すため、確認するために神社に行く。その場所では嘘をつけないから、自分の本当の目的を知ることができる。

 

自分の願望を確認することができれば、迷うことは無い。1年の始まりに確認するのもいいけど、もし迷うことがあったら、神社に行ってみてはどうだろうか?どこに行けばいいか、何を目指せばいいか、確認することができるだろう。

 

 

 

 

昔と今と未来、

雑談のあと、前職の同僚の話、そして仕事をする環境について話そうと思います。週末、寒い日が続きますが、みなさんあったかく過ごしてください。今夜も来てくださってありがとうございます。よろしくお願いします。

 

雑談

週末の東京は少しの雨降りではじまった。天気が悪くなると気温が下がり寒い。夜には10℃以下になるようだ。10℃を切るともう本格的な冬という感じで、セーターだけで外出はつらくなる。いいかげん冬支度をせねばならないのだけど、引っ越し作業に気を取られている。今週もとても忙しく、家で寝たのは1回くらいかな。睡眠不足と疲労で頭がぼーっとしていると、睡眠に入るとき一瞬「寝たらもう起きられないかも」と思うことがある。そのまま眠りからさめず、さようなら。そして、最近またよく地震の夢を見る。昨日の夢もそうだった。高いビルの上の階で地震にあい、崩れて行く建物の中を逃げ回る。固い柱をめざして走り、周囲にある柔らかいものをありったけ抱きしめ、落下の衝撃に備える。徐々に斜めになる床。他の人たちがすべって落ちて行く、自分も、と、まぁ、その辺りで夢は終わってしまうのだけど、ってことはその辺りが目で見る最後の絵になるのかもしれない。もっと夢で地震対応の練習をしておきたい。地下鉄バージョンも欲しいね。本番をうまくやれるように。

 

昔と今

今日は5年前にいた会社の同僚(A氏)と飲んできた。今一緒に働いている(B氏)も一緒に3人で。A氏(元同僚)は一緒に入社した同期で、ほとんど同じ仕事をしていた。僕は2年くらいで会社を辞めてしまったけど、A氏は会社に残った。そして、技術をどんどん向上させていき、誰でも知っている有名な仕事をするまでになった。僕も会社を辞めなかったらA氏のような人生を歩んでいたかもしれない。いや、無理かな。僕は大きな仕事をする器ではないように思う。身近なことくらいしかできない。それを薄々感じていたことも、その会社にはいられないと思った一片かもしれない。

 

今と未来

どんな場所にいるのが自分が楽か、どんな時に最も自然に力を出せるか。それは人それぞれ違う。無理することはない、今の職場がつらいと思っているなら環境を変えるべきだ。それは甘えでもなんでもない。自分の力を発揮できない場所にいるのは良くない。社会的損失と言ってもいいくらいだ。

僕には前職場の環境が合わなかったんだろう。今はめちゃくちゃ楽に、自然に仕事をしている。変なプレッシャーも無い。だからついやり過ぎてしまう。でもそれくらいがちょうどいいのかもしれない。好きな時に好きなだけ仕事ができる環境ができている。弊社メンバーもそう思っていてくれるといいのだけど。働く自由も、休む自由ももちろんあるなかで、各自が自分のペースで仕事ができるといい。自分が楽ないい体勢をみつけてほしいし、それを教えてほしい。僕はみんなが力を発揮できる環境をつくっていきたい。これから先、もっと注力していかねばと思う。

 

 

 

 

いい店の条件、

好きなごはんやさんはどんなお店だろうか?

落ち着けるカフェ?さっくり入れるカウンター?

隠れ家みたいな居酒屋?、豪華なレストラン?

自分が好きだと思うお店は、どこかに他と違ういいところがあるはずだ。漠然と感じていることがもしかしたら自分の活動のヒントになるかもしれない。

 

東京は連日よく晴れている。でも今日はとくべつ寒かった。刺さるような寒さは今シーズンはじめてかもしれない。僕は今日も事務所で目覚めた。朝7時、まだ目覚きらない街を歩き、朝食を食べに行った。いつもは松屋の朝定食を食べているのだけど、今日は先日発見した15℃というお店に行ってみた。

tabelog.com

 

365日というパン屋さんから分岐したカフェらしい。朝ご飯セットが2種類から選べる。今日のメニューは「ごぼうの炊き込みご飯と味噌汁」か「トーストと季節のスープ」のどちらか。これに、サラダとサーモンのマリネ、目玉焼きなどがセットになっている。僕は炊き込みご飯のセットをお願いした。とてもやさしい味で、理想的な朝食といった感じだ。キャベツとニンジンの味噌汁がおいしく、徹夜明けの体にしみた。居心地はとてもよく、店員さんたちもとても丁寧な仕事をしていた。

 

利益率が低い

値段の設定が少し高い。朝食のセットで税込み1134円。毎日食べるにはちょっと気が引ける値段だ。しかしながら野菜やお米、食材はとてもいいものを使っている。舌がバカになりかけている僕でも、食べればすぐに分かるほどだから、原価も高いだろう。

その他、内装などとてもきれいで上品、お店づくりにこだわっている。立地もいい。ざっと、材料費30%人件費40%家賃設備15%としただけで、85%行ってしまう。1000円の定食のうち、850円が消える。経費はおそらくこれだけではないはずだ。

これはいわゆる「店主のこだわりの店」というやつで、原価が高く、利益率が低いお店の典型だ。こういったお店は熱心なファンに惜しまれながら消えてしまう確率が高い。とてもいい店だと思うし、僕も毎日でも行きたいと思う。いつまでもそこにあってほしい。反面、それが叶わない。

 

ファンを増やす

・・そんなことを考えながら、食後の時間をまったり過ごしていた。8時が近づいてきたころ、それまでまばらだった店内に、一気にお客さんが増えてきた。20代の若い女性数人のグループ、出勤前のサラリーマン、近所のおじいちゃん。全然繁盛しているじゃん!。僕の心配は全くの的外れだった。このお店の良さを知っている人たちがたくさんいたのだ。朝食にしては少し高いお値段でも、きちんとした食材や接客、雰囲気、トータルで一貫性ががあれば、それがよい体験となり、お客さんに記憶として残る。そしていつの間にかファンになっていく。一度ファンになったお客さんは何回でも来てくれるだろう。姉妹店のパン屋さんがその体験の一端になり、ファンになるきっかけをつくっているのかもしれないとも感じた。今の時代、おいしい噂の広まる速度は速い。

 

「業績を伸ばすために必要なのは、強さや大きさではない。時代に合わせ変化できるかどうかがカギになる」というのはよく言われてる。飲食業でもこうやって時代に乗れるんだな、と感じた朝だった。

 

 

 

 

 

 

下請けからの脱却、

週のまんなか。東京はよく晴れた。

僕は今週は家のベッドで寝ることができず、連日会社の床で寝ている状況だ。今日は帰れるかな、そろそろ体力的にもヤバい。休まねば。ここ数日激務が続いてしまった。いくつかの案件が立て続けに進行し、1日に4〜5案件を対応して行かなければならなくなっていた。自分の仕事だけでなく、ほかのメンバーにお願いしている作業のチェックもままならない。なかなかつらい状況となっている。

 

今日は激務の中、フリーランスと僕たち弱小企業の今の悩みを書いてみた。

今夜もよろしくお願いします。

 

フリーランスの悩み

そんな中、フリーランスの方の話をきく機会があり、今の状況や悩みを聞いた。僕もフリーランス暦が長かったので、悩ましい事件は多数経験している。その中でも立場の弱さに起因する悩みは特に多い。今回の話もそういう話だった。

そのフリーの人曰く、仕事をもらえても最終段階で報酬金額を下げられることが結構あるという。そこまで作業が進行している手前、「そんな金額ではできないので降ります」とも言えず。もし仮に勇気を出して降りても、その金額はもらえない。今までの仕事が無駄になってしまうし、次の仕事がもらえなくなってしまう。結局しかたなしに受け入れてしまうのだという。

 

弱小企業の悩み

僕は今、会社にいるけど、仕事をやっていくうえで同じようなことを経験している。最初に言われていた予算が、後になってひっくり返ることもあれば、予算を伝えられないまま開始していたり、スケジュールが曖昧なまま進行していたり。請求書を出しても入金がない。そんなことはよくある。いや、本当はあってはいけない状況なのだけど、、仕事がもらえるありがたさで、詰めが甘くなっている。それでいつのまにか不利な条件を飲まされてしまう。

そもそも僕のいる業界には契約書がないことがほとんど。他業界の人にそれをいうと「ありえない」と言われる。これが甘えの始まりだ。なんとなくで始まる仕事は、やはり、なんとなく着地し、そこは相手の都合のよい場所ということになってしまう。

 

下請けからの脱却

「仕事を頂いている」という、立場の弱さから脱却するためには、戦力をつけることもあるが、第一に、とにかく取引先を増やすことだと思う。1つのクライアントだけだと、その仕事に依存してしまい、相手からでてきた条件を100%飲まざるを得ない。1つ、2つと取引先を増やして行けば、同時に仕事が入ってきた場合は自分の条件に合う方の仕事を受けることができる。20社、30社とクライアントを増やせば、その中で一番いい条件の仕事を受けられる。好きな相手、やりたい仕事を選べる。その時はもう、お客さんが自分を選ぶのではなく、自分がお客さんを選ぶ立場になっている。そうなっていれば、自分で自分のサービスに値段を付けることができるようになるだろう。

 

とにかくたくさんの知り合いをつくること。多くの人と付き合っていくんだという気持ちで日々活動していくのがいいと思う。

 

 

 

 

 

環境に動かされる、

どれくらい自分をコントロールできる?

自分で自分を動かすなんて本当はできないのかもしれない。

環境と、感情にほとんどのコントロールを持って行かれている。

 

映画を見たいのに見られない。

最近映画を見ていないことに気がついた。僕はとても映画が好きで、仕事に余裕ができたら即映画。時間ができたらやるリストの常に上位に映画がある。ちゃんと映画館で見ている。それが最近映画に行けていないことに気がついた。ブレードランナーの新作も見ていない。これは由々しき事態だ。なぜ時間が無いかといえば、仕事の忙しさに加え、このブログだ。毎日書くことを課してしまったばっかりに、1日最低でも1時間はとられる。しかも手があいてきた夜の時間に。ちょうどこの時間を映画に当てていたのだと気づいた。映画も重要。ブログも重要。インプットとアウトプット。両者は180度違う存在で、優先順位がつけられないのがまた憎い。

 

環境に動かされる

何に時間を使うか自分で選ぶことができているのだろうか?僕は映画を見たいのに、今日もブログをせっせと書いている。ブログの方が大事だと思っているのだろうか?僕は映画が見たいのに。人は自分の考えで行動しているように見えて、実はかなり大きな範囲で周りの環境に動かされているという。会社に行ったらだるく感じるし、公園に行ったらスッキリする。カフェに入ったらなんとなくいいアイデアが浮かぶような気がする。なんかその場所の空気感で気持ちが変わる。目の前の状況に合わせて、反射的に行動してしまうところがある。僕は今、夜になりPCの前に座ったらブログを書こうとしてしまう。200日連続してそうだったから、明日もまた夜になったら何かしら書いてしまうだろう。環境に対する行動と、習慣と、継続に対する強迫観念で今日も映画を見ることができない。なんてこった。

 

変えたければ上のレイヤーから

行動を変えたい、行動を変えたい、映画を見たいと思っていても、自分を取り囲む大きな要素がそれを許さない。行動を変えようとしても自分の力が環境の支配下にあるうちは変えることができないのだ。もし環境が自分の行動を左右する大きな要素なのだとしたら、思い切ってがらっと環境を変えてしまえば自動的に自分の行動を変えることができるかもしれない。自ら花を咲かせようといくら頑張っても、痩せた土壌に植えられている植物は育たない。パソコンを破壊するくらいの勢いで、ブログの無い世界に行けば僕は確実に映画を見ることができる。

 

まったく面倒なやつだね。

 

 

 

 

 

 

ゆとりとニートについて、

絶滅する種族の傍らで。

 

東京は今日、ちょっと雨が降った。もう本当に寒い。僕はまだ秋の装いで、セーターが一番あったかい服装。しっかりしたアウターやコートなどは持っていない。ようやくマフラーを装備したところだ。これから本格的に寒くなってくるので、冬服の準備をしなくては。みんなは冬服を手に入れたかな?

今日は弊社はお休みだった。設立記念日。まったく贅沢な名前の休日だ。でもうちの会社にとって一番重要な日だということは間違いない。僕は今日も相変わらず激務なのだけど、、会社のメンバーはわりと休みを満喫したようだ。よかった。またみんなで頑張ろう。今夜はネットで見た記事をネタに少し文章を書いてみたのて、ちょっとの時間お付き合いください。

 

ゆとり

ネットでこんな記事を見た。「ゆとり世代が日本をこわす」という内容だった。これはネタで書かれているのか本気で書いているのか定かではないが、ちょっと的を得ていないと感じたので、キーボードを打つことにした。曰く、なぜゆとり世代が日本をこわしているのかというと、「飲み会不参加」「定時に帰る」「内部告発する」とのことらしい。だけど、これ全部いいことじゃんか。

「飲み会」基本無駄だ。脳が正常に働かない状態で何かいい事があるのだろうか?社員どうしのコミュニケーションガーって言うなら、社内で話せばいい。日中ずっと一緒だろう。「定時に帰る」これだっていいことでしょ。仕事時間を減らせば相対的に生産性が上がる。家族とも一緒にいられる。疲れも取れ、翌日の仕事がはかどる。いいことばかり一石で何鳥でも落とせる。「内部告発」これの何が悪いと言うのか。社内の癌を知らせ、治そうとしている。

言うまでもなく、「ゆとり世代が日本をこわす」なんて真逆。ゆとり世代が日本をなおし、アップデートしようとしてくれている。

 

ニート

僕は同じようなことがニートにも言えると思っている。働きたくない怠け者たちとしてみられることが多いのだけど。彼らは従来の昭和的な働き方を終わりにしようとしているのだと思う。変なしがらみやルール、非効率で時代に合わなくなっていく働き方には従わず、新しい働き方が出てくるのをじっと待っているように見える。次の可能性をじっと待つ姿は、洞窟で氷河期を乗り越える小さいほ乳類にも通じるところがあるのではないだろうか。「今までのルールで動いたら負ける」そう言っている。

 

今後の日本は若い人が主役となり、つくっていかなければならない。僕はゆとりでもニートでもないのだけど、その行動が悪いとは全く思わない。上記のように先進的とさえ感じている。とはいえ、世界を変えていくにはいささか時間のかかる手法ではないだろうか?ゆとり氏、ニート氏、ともに日本のために立ち上がってはいかがか?日本を変える必要性に真っ先に気づいたのだから。きっとうまくいく。僕も日本の労働環境が少しでも良くなるように日々の戦いに勤しむことにする。