代々木ではたらく

これからの働き方を考える

ヒトモノカネのアップデート、

経営資本「ヒト・モノ・カネ」を考え直す。

 

経営資源とは「ヒト・モノ・カネ」といわれている。聞いたことがある人も多いと思う。組織で働いてくれる人間、設備、運転していく資金だ。これらの組み合わせと投下タイミングで回していく。今はこれに「技術」や「情報」が入るそうで、いかに良質な「技術」「情報」を持っているかが勝負、そこが戦いの主戦場になっているわけだ。これは大きな会社だけでなく、中小零細、フリーランスなどの個人事業主でも同じことが言えるし、会社に所属している人、個々人一人ずつの内部にもその構造がある。高い「技術」良い「情報」を他人よりも早く手に入れられればアドバンテージとなることは想像しやすいだろう。

 

ここしばらく「評価経済」が実際に稼働し始め、SNSのフォロワーや、いいねなどを使った面白い施策を度々目にするようになった。フォロワー数に応じて割り引くとか。ちょっとずつ様子が変わってきている。そこで経営資源についてもその波がきているのではないかと思いアップデートできないかと考えた。「ヒト・モノ・カネ」に追加された「技術」と「情報」では補いきれない要素がいくつかあると思ったからだ。また、「技術」や「情報」は実はあまり大きな要素ではないとも思っている。質の良し悪しはひとまず置いておいて、この2つはある程度のものであればオンラインで簡単に手に入ってしまう。

そして、もう一つアップデートしたい理由がある。それは「ヒトモノカネ」は経年劣化するし、税金がかかる。この2点は特に大きい弱点だろう。ほおっておくとどんどん縮小してしまう。今、時代の書換えサイクルはとても早く「ヒト(知識)」や「モノ(技術)」はどんどん時代遅れになってしまう。さらに税金や保健の類は、その額をどんどん増している。劣化するものからさらに税金を抜かれるなんてたまったもんじゃない。

 

これを、劣化しない&無税なものとしてアップデートをかけたい。贅沢な試みだ。

 

・「ヒト」はコミュニケーションに変える

人は時間とともに歳をとり、その能力は落ちていく。知識は古くなる。そして人件費は年齢とともに高騰していき、社会保険は重くのしかかる。そこで、人を内部に抱えるのではなく、良い関係を持った外部の人間との付き合いを重視する。人と話したり、ご飯を食べたり、旅行したり。一緒に長い時間を過ごすことで、関係性を強めていく。自分が困った時や相手が大変なときに助け合ったり、1人ではできないことを協力して達成したり。はたまた、究極的には無償の愛が得られるかもしれない。良質な人間関係の資産に移行させていく。これは劣化しないどころか、時間とともに結束が強まる。もちろん無税。

 

・「モノ」は経験値に変える

物は取得にお金がかかる。あるだけで電気代などがかかり続け、すてる時でさえお金がかかる。住宅には固定資産税がかかるし、車にも税金やランニングコストがかかる。モノを持つのをなるべくやめて、気を使う、頭を悩ます対象をカットする。有形物から無形の経験にシフトさせていく。旅行やスポーツ、イベントへの参加やアウトドアの体験などを経験値として多く持っていれば生活は豊かになる。今はどんな経験も何かに繋がり、活かすことができる。ブログに書いてもいいし、YouTubeに出してもいいし、人に話すネタにもなる。もちろん仕事にも応用できる。経験値は時間とともに蓄積していく。蓄積した経験は自分のものになり、引き出し放題。もちろん無税。

 

・「カネ」は健康に変える

「カネ」には一番金がかかる。あればあるほど、使えば使うほどじゃんじゃん税金をむしり取られる。税金の塊って言ってもいい。今回のアップデートではカネを回すのではなく、時間を回すと考えたい。そして、時間は「健康」であると置換したい。よく親に言われていた「お前の商売は体が資本だからね」。どんな商売でも同じ。体が資本だ。元気があればなんでもできる。ずっと健康な体でいることができれば、時間は無限湧きする。元気に動ける身体と、回転数の高い頭を保つことができれば、いつでも何度でも、年寄りになっても価値を生み出すことができる。健康な体はもちろん無税だ。

 

ヒトモノカネのアップデート

少々強引なところも否めないが、旧3大資本を見直して、新3大資本として組み直してみた。大企業における「ヒトモノカネ」を書き換えるにはちょっと力不足かもしれないが、零細レベル、個人レベルのアップデートにはぴったりだと思う。これからはさらに個人が活動していく環境が強化されていくだろうから、この更新がさらに意味を持ってくるのではないだろうか。

 

 

 

その舵は誰の手に、

「仮想通貨NEM」っていい響きだよなと思う。「ねむ」ってな。あんにゅい。何もない日曜日の昼過ぎ。カーテンの隙間から差し込む日差しに浮かぶホコリ、友達はまだ起きない。昨日のお酒がちょっと残って、クソつまらないテレビ番組を、ナナメになる体をぎりぎり支えながらみてる。灰皿は山盛り。そんな雰囲気があるよ。好きだ、ねむ。

今回の仮想強盗事件は、ブロックチェーンの技術を試すような形で進行している。追跡はどこまでできるのか?犯人まで到達できるのか?攻殻機動隊の世界顔負け。これで犯人が逮捕されれば、ブロックチェーンは本物になり、セキュリティのテクノロジーを強力にアップデートすることになる。そこからが本当の暗号通貨の幕開けだ。ガンバえ〜NEM!。

 

前おきはここまで。今夜も寒いですね。皆さん週のスタートいかがお過ごしでしょう?僕は今夜もひとりぼっちでご飯を食べに街をうろついていますが、月曜定休のお店が多くてなかなか決まりませぬ。しかしながら僕のブログは定休日はありません。今夜も読みに来てくださってありがとうございます。少しの間お付き合いのほど、よろしくお願いします。

 

シンプルな話、自分が生きていく中で、誰が舵取りをやるか。それを、どれくらいやるかということかと思う。僕含め、あなたは自分の人生を100%自分で舵取りしたいと思っているかもしれない。全部自分の思い通りにする。どこで、なにを、いつやるか。そんな暮し最高じゃないか。しかし、そんな生活をしている人なんてほとんどいないんじゃないかな。100%自由な生活、それをするためには時給自足の生活をするしかない。自分の食べる食べ物を自分でつくり、家を自分で建て、着るものまでつくる。誰の手も借りずに全て自分でやるのだ。そうすれば、誰にも邪魔されず、自分の思い通りになる。これを基本に考えてはいかがか?

 

仮想通貨NEMが流失した件について。こんな記事をみた。

www.businessinsider.jp

 

「お金がないと可能性が狭まってしまう。地道に働いても、年収600万円がいいところ」マジか。これが今の日本人の考え方か。正直ひどいとしかいいようがない。年収600万円でも可能性がないなんて。600万円に可能性を持たせる使い方ができないなんて。お金に縛られ過ぎもいいところだ。こういうお金の使い方を知らないような人間はいくらあっても「足りない」って言い続ける。1億5000万円の含み益をもし換金できたとしても。消費しておしまいだ。ラッキーで得た1億円がなくなるのは早い。

 

今の時代(これまでの時代)他人に舵取りを任せすぎだったのではないだろうか?記事に出てきたAさんは、貯金のほとんどを仮想通貨につっこんだ。その後はもう自分の力では何もできない。数字を見ているだけ。いつ引き出すか、それだけ。会社に就職して終身雇用だと喜んでも、会社にほとんどの舵取りを任せることになる。勝手に決まった人事を受け入れて、勝手に決まった給料を受け取り、そのなかで消費して生活していく。フリーランスは見た目は自由かもしれない。でも実はほとんど会社員と変わらない場合が多い。出勤しなくていいし、監視拘束されないかもしれないが、下請けの時点で舵を握っているのは自分ではない。発注元の会社か、その業界、その国、世界。自分でコントロールできる部分なんてあまりにも少ない。

 

すごく自由にみえるユーチューバーも、Googleのコントロール下におかれている。先日YouTubeのパートナープログラムの変更があった。 

support.google.com

今までは再生数で収益化されていたのが、再生時間と登録者数での収益化に変わった。これが意味するのは「より視聴者にとって有益で中身のある映像をつくれ」ということだろう。タイトルやサムネイルだけが面白い釣りのような動画や、一発芸的な動画は淘汰され、より広告主にとって意味のある動画に収益がついていく。健全な変更ではあるが、動画投稿で収益を受け取っていた側はなすすべも無くこの変更を受け入れなければならない。ここでも重要な柁取りは自分ではできない。

 

その舵は誰の手に

今感じている窮屈な感じは、他人に舵取りを任せてしまっているからなんじゃないかな。自分の舵の90%以上を知らない誰かが握っている。自分が決めることなんて、毎日のコンビニ弁当を何にするか、くらいじゃない?それもコンビニのラインナップがある程度決める。「パンツは自分で買え」って誰かが言っていた。日々の生活全部の舵を取る必要はない。オートパイロットもいい。しかし、少しずつでもいいから、選ぶこと、決めること、誰かに任せていたことを、自分の手に戻して、自分で考えて舵を切る割合を増やしていこうじゃんよー。そして、少しずつでも自給自足できる部分を増やしていけば、少しずつ、窮屈さから解放されていく。そうすれば少しずつ、自由を感じられるようになっていくだろう。600万円で夢がないなんてそんなかなしい台詞は聞きたくない。100円玉だって自分の考えを実現できるはずだから。

 

 

ブログ書けない人の日常と仮想強盗について、

正直なところ、毎日どうやってブログを更新してきたのか分からない。280日以上続けてきたのに。今日もどうしていいか分からない。毎日ブログ作成ボタンを押す時になって、真っ白になってしまう。書くのをやめようと毎日思う。昨日どうやって書いたか忘れているので、今日書く理由もないし、いつやめてもなんとも思わない。だけど今日書くのをやめる理由もないので、こうしてまた書いている。そんなわけで、今日も何を書いていいか分からないしどうやって書いていいか分からない。書き溜めも無いから、毎日その場で書いている。半年前に旅行で数日分を書き溜めた時、かなり違和感があった。それ以降書き溜めはやめた。なんというか、昔の出来事を今出すということが耐えられない。僕にとってブログは、長いツイッターみたいなものだ。内容もツイッターと変わらない。ツイッターではその時感じたことをその時吐く。ブログはその日感じたことをその日吐く。それだけのものになっている。

 

今日の東京は、少し寒さがやわらいだ。コートの上からも、日差しの暖かさを感じることができた。いつものカフェは理想的な休日を過ごす人たちで混んでいた。みんなベーグル食べてほしい。おいしいから。

 

ビットコインチェックが大暴落」って言う文字面が不意に流れてきた。なんだこれ笑、天才的に面白い。ピピンアットマークをファミコンって言っちゃう感じと金融業界の事件は「暴落」って言うザックリ感。そして出川氏。時代をよく表しているよなーと思う笑。世は仮想通貨の話題が絶えない。火中の方々はとても大変だとお察しするのだけど、500億円が消えても、それほどの衝撃がないのはなんでだろう。3億円事件はあんなに騒いだのに。「仮想」ってついてるからだろうか。誰も見たことないものが消えましたと言われてもイマイチピンとこない。「500億円の幽霊が消えました」なら、そらそうでしょ、となってもおかしくない。でも500億円分の金塊が消えたらそら凄いなと思う。どうやったの?っていう方が気になる。一昔前は金庫を運び出すのも大変だった。

 

ミニミニ大作戦

youtu.be

 

今回のNEM流出はたった5分間の出来事だったとのことだ。強盗は変わった。しかしこの流出NEMは使えなくなる可能性が高いのではないだろうか。ブロックチェーンで追跡と監視ができるからだ。盗んだ金塊に価値はあるのだけど(存在がそもそも珍しいから)盗んだ仮想通貨に価値はあるのだろうか?意味が付与されない限り、または、意味が剥奪されたらゴミデータになるだろう。

僕は仮想通貨にあまり詳しくないので勘違いしていたら教えて欲しいのだが、こんなに透明性が高いのになぜ盗まれるのだろうか。犯人も使えなくなることは想像がつきそうだ。アドレスの監視だけでなく、NEM自体が凍結されて全て使えなくなる可能性もあるだろう。もしかしたら犯人はそれが目的なのかもしれないなーと思った。あと多くのハッキングって、脆弱性の指摘だったりするんだよね。金銭目的じゃなく。

 

就職するなら大企業がいいのは本当か?、

今日は大企業と中小企業の違いを考えてみたいと思う。

仮想通貨がダイナミックに動いている中、地味な労働の話しをするのもどうかと思うが、副業やリハビリ、適度な運動として労働をするのもいいんじゃないでしょうかね。

 

東京は今夜も凄く寒い。雪の日以降、刺すような寒さの日が続いている。外にでることを躊躇するほど。もうすぐ2月、今が寒さのピークかもしれない。耐えるしかない。僕は今週末、色々な作業が重なりとても忙しくなってしまった。だがやはり、日々のサイクルは最重要。睡眠時間を頂点に、よい食事、運動、入浴、本読み、ブログ書き。個人的(人間的)にやるべきことは先に時間を確保して、それ以外の時間を忙しく活動すれば十分だ。

土曜日の夜、みなさんモンスターを討伐に出かけている頃だろうか?長いロードの間にでもお付き合いいただけたら嬉しい。今夜もよろしくお願いします。

 

先日、本業活動に勤しんでいたら、面白い事象に出くわした。ある大企業の社員と出会ったのだ。その人は「自社に不利なことが発生すると、できない理由を探して実例をまとめ上げ、外堀を埋める工作や根回しをした上で、高級お菓子で謝罪する」という活動を仕事として行なっていた。(本当にそれしかやってないのである!)法務担当とかじゃなく、名刺の肩書きは営業だ。月給はおそらく40〜50万といったところだろう。彼の目的(問題発生〜謝罪まで)の完成度としては完璧に近く「改善の余地なし」で決着がつき、鮮やかな撤退が可能になる素晴らしい仕事っぷりであった。

 

簡単に言えば「仕事」から逃げているだけだと思った。本来であれば、何か問題が起こった時には、原因を突き止め、再発しないように策を練り、実際に改善する。それが仕事のはずだ。だが、書類作成と謝罪でだけで問題そのものがなかったことになる。問題が起こらなかったのだからその人は「優秀」ということになっているらしい。僕はそれを発見して、全く何も生み出しておらず、改善も発展もない!と驚愕したのだが、もしかしたらこれが大企業の仕事なのかもしれないと思い直した。要は、実動をしないで紙で処理できてしまう。ここに大企業と中小企業の決定的な違いがあるように思えた。

 

大企業と中小企業の違いは、たくさんの要素があると思うが、基本的には「大企業であるがゆえ大企業」みたいな基礎値が半端ない。資本が大きくて、マーケティング力、ブランドの力がある。そのインフラに似た巨大な力が仕事をしている。人間の身体で言えば頭、車で言えば運転席、国で言えば政府。そこで行われているのは調整やコントロールであって、実務ではない。だから打ち合わせは長いし、すぐに電話するし、リライトをリライトするみたいな意味不明な仕事、小さい組織からしたら超非効率で謎の作業が多数発生しているのだ。僕たち「実働隊」がそんなことをしていたらすぐにダメになってしまうのはそのためだ。手や、足、タイヤやミラーは調整やコントロールをする部分ではない。コントロールされる側なのだ。残念なことに。だから、調整しかしない人を叩くのはお門違いというわけだ。

 

就職するなら大企業がいいのは本当か?

本当だと思う。新卒での就職はまず「頭」を目指そう。大企業に入ろう。そこで勉強しつくして30歳ちょっと前になったら、そこでずっとやるか、離脱するか考えればいい。中小企業に入って自由に活躍するか、のんびり好きなことやるか、はたまたベンチャーで暴れるか。選ぶのがいいんじゃないかな。大企業にいれば、その選択肢がある。そして、行った先で頭になれる可能性はとても高い。人に発注できる側にいるということはとても重要で大きなアドバンテージになる。口だけのやつになる?言わせておけ。頭になるか、手足になるかだ。頭でいることができれば就業寿命も長くなる。何しろ、いま若い世代は100歳まで生きなければいけないのだから。

 

 

 

 

残業代をゼロにするために必要なこと、

社員7人の町工場が、残業ゼロ、全社員年収600万円以上という記事を見た。

この話って、もう何回も記事になっているような気がする。定期的に見ているような。どこかで読んだ話だ。町工場などの小さい組織でも、うまくやってるんだから君たちもなんとかせーよ。という謎の圧力を感じる。

 

diamond.jp

 

ラッキーなケース

全員年収600万ていっても、そもそも町工場って時代の流れにガンガン煽られる。良いときはいいけど、悪い時は悪い。自分の会社でコントロールするのは難しい。そして、下請けだけをやり続けるといつか潰れる。仕事を出してくれる上位の会社の風次第、経済状況次第だからだ。独自のものを持っていないと、徐々に下降トレンドを描いていくことになる。経済状況が悪くなりだすと、まず下請けから影響を受ける。当然なんだけど。親会社がダメになり始めると、まず子会社が絞られる。もっと安くしてくれとか、もっと早くつくってくれとか。そして川下の会社から潰れてしまう。親会社が先に潰れるってことはほとんどないはずだ。

 

優秀な社員

この町工場のケースは、独自の技術を持っていたか社員がものすごく優秀か。どっちかだろうなーと思う。で、中小企業っていうのは言っちゃ悪いが、ものすごく優秀な人というのはあまりいないとすると、何かしら特許を持っていたりするのかもしれない。

ある会社で、こんな話を聞いた。コピーを取るとき、ホチキスの針を外すためだけに大卒を雇ったという。笑ってしまった。なんでそんな簡単なことのために大卒を雇うの笑?しかし、待って欲しい。僕含め、みなさんはコピーをちゃんと綺麗に取れるのだろうか?「ホチキスの針を外す」っていう作業は、実はものすごいクリエイティブな作業なのだ。まず、コピーを取るときにホチキスがしてあると、角が浮いたり、台に対して曲がってしまう。そのままコピーをとれば当然曲がった状態のコピーが出来上がってしまうわけだ。ホチキスの針を外して、きちんと整体させてコピーを綺麗に取る。それを教えられなくてもできる人ってどれくらいいるのか?僕はちょっと無理かもしれない。そんなん内容と関係ないしどうでもいいじゃん。って思うけど、これは分かりやすい例で、仕事をしているとそういう些細な部分が積み重なって全体を作っている。無意識に通過されてしまうと困る仕事も当然あるだろう。そういう部分に気を使えるかどうか、自分で考えて工夫できるかで仕事のクオリティは大きく変わる。教えなくてもホチキスの針を外せるというのはとても重要なことなのだ。そういう優秀な社員さんは残念ながらほとんどいない。

 

残業代をゼロにするために必要なこと

この町工場の記事の中で出てくるエピソードとして、印象的な部分がある。残業をなくすためにしたこと。残業NGにしたうえで、残業していたら発生するはずだった給料を上乗せで払ったという。そして、じょじょに作業時間を定時に合わせていった。定時に帰れると分かれば、無駄な作業はしなくなっていく。無駄な作業に「残業代」は支払われないから。残業代をゼロにしたいなら、まずは出るはずだった残業代を全部支給して、その上で残業NGにするという凄まじい決断と、資金的余力が必要なのだ。あと優秀な社員も必要。

 

 

 

タクシーについて思うこと、

タクシーが好きだ。気軽に時間を買うことができる。タクシーという乗り物は、時間を売っている、最も身近で分かりやすい施設だ。僕は月5万円くらいタクシーで時間を買う。車を所有する必要もないしね、自分で事故ることもない。保険もない。そう考えるとタクシーはめちゃお買い得なのだ。まぁそんなことみんな知ってるわな。

 

2015年ロスに行った時はUberを使った記憶がない。ずっとタクシーで移動していた。英語ができないから行き先を伝えるだけで一苦労。3日動き回って700〜800ドルくらい使ったように思う。2017年に同じ場所に行ったらUberだらけで超便利になっていた。Uberを使った人ならわかると思うが、とてもスムーズだ。普及度にもよるだろうが、呼べば3分くらいで来るし、来た時点で行先が伝わっているから何も伝える必要がない。英語ができないとか関係ない。「hi!」とか言ってればいい。伝える必要がないってのがとくにいい。言語とかの問題がなくても、この「伝える」っていうのが超難しくて、面倒くさいから。

 

日本でタクシーに乗っても日々感じている。行先を伝えるのがとんでもなく面倒。大きくて分かりやすい施設ならすぐに伝わるけど。でも、ちょっと小さい建物だったり、マニアックな場所だと、その場所の名前だけでは伝わらない。

僕はいつも、行き先を伝えるとき「住所でもいいですか?」と聞いている。それに対する運転手さんの反応はまばらで、タクシー歴が浅い運転手ならちょっとホッとしたような反応が多い気がする。おそらく、ナビ通りいけば文句つけられないからだろう。

逆にベテランに住所を伝えると、ちょっと嫌な感じを出してきたりする。それは何故なんだろう?。「俺の方がナビより道に詳しいのに」って意味なのか「ナビ通り行って混むの嫌だ」なのか。どちらもあまり変わらないか。とにかくナビが嫌いっぽい運転手は多い。

 

たまに運転手が細かくルートを聞いて来るケースがある。「〇〇通りの△△っていう交差点を左折して〜〜その間を〜〜で〜〜わしのギャロップちゃんが〜〜じゃろ?〜〜、っていう経路でいいですか?」って。知らんがな。と思ってしまう。タクシーの運転手は運転のプロだ。道のプロでもある。その「〇〇通りガー、、、」っていう言い方はプロの会話なのだ。素人にとって道の名前や、交差点の名前なんて言われても分からない。それならとにかく一言「今の時間で一番早いと思う道で行きますね」って言ってくれればいい。そしたら「お願いします!」って返す。自分より道に詳しい人が自信満々に「この道が良い」って言ってくれれば信じるって。それでちょっとくらい間違っててもわめきませんって。でも、そうやって細かく聞いてくるってことは、過去に自分よりももっと道に詳しいお客さんと一戦交えたことがあるのかもしれない。「あの道の方が近いとか」「なんでその道行くのか」とかネチネチ言われたのかもしれない。そのツケを払わされているようで。もう勝手に好きな道で行ってくれよと思う。

 

なぜお互いうまく伝えられないのか。Uberなんてテクノロジーにあっさりと負けてしまうのか。それは、お互いの知識レベルの違いを瞬時には埋められないからだろう。全ての人は知識レベルが違う。頭の良し悪しだけでなく、分野の違いもある。だから、同じ原語を使っていながら、どこを基準に会話していいか分からない。初対面だとまずそれが発生する。タクシーという特性上、知識の摩擦係数がかなり高い。あまり細かく指摘したくはないのだが。運転手と乗客で、かなり違う人物像が1つの空間を共有し、初対面の人間に目的地と経路を伝える。そこには時間帯や土地の性質、急ぐかどうか、もしかしたら途中で寄る場所。など様々な要素を加味する必要がある。これを短時間のうちに「言葉」でまとめ上げるのは至難の技だ。「言葉」というのは短くすればするほどいろんな情報が省かれてしまう。123456789と順番に伝えると時間がかかるので、13579と伝える。分かってくれる人はいい。これが伝わらないと、13579(?)123456789と最初から順に説明した時の1.5倍くらいのペナルティを食らう。

 

本来の「伝える」という手順であれば、目的地や経路を伝える前に、どれくらい知識レベルが近いかというのをすり合わせる必要がある。あの建物知ってますか?とか、あの道知ってますか?とか。でもそんなことしている場合ではない。もう車は進行し始め、メーターは回り始めている。これはもう無理ゲーである。僕はタクシーに乗った瞬間、うわめんどくせーーっていつも思っている。僕の頭スキャンして目的地自動で共有してほしいわ。もう。それか、この人がこの時間この場所でタクったら行き先はここっていうデータを蓄積してほしい。そっちの方ができそうだよね。Uberを導入したくないなら、やることなんて山ほどあるよなー。

 

 

 

3億の友達、

僕には3億の友達がいる。

 

僕のツイッターはブログを書いている人をフォローしている。95%以上がブロガーさん。プロフィールに「ブログを書いてます」と書いてあれば検索で見つかる。そして読んで見て、面白かったらフォローしている。プロフィールにブログのことを書いてない人はなかなか見つけられない。面白いブログ書いている人まだまだ沢山いるはずなのになぁ。と思ってさまよっている。もっとブロガーさんと友達になりたい。

 

僕はブログ界隈やツイッターに1日のほとんどを費やしている。起きている間は、ほぼずっと張り付いているのだけど。最近ちょっと、そのなんというか、みんな他人が大好きすぎるのが気になっている。他人のことばっかり、あーだこーだ気にしている。彼と比べて自分はどうだとか。僕ももれなくその一員で、今朝も煽りをいれてしまった。本当に親切極まりない。あなたこうした方がいいですよ、きみのこれおかしいよ、なんでそうしないんですか?。ぼくみたいになってください!。いくらSNSって言ったって、他人のこと気にしすぎやしませんか。それの最たるものが天才音楽家を引退に追い込んだんだと思う。他人の生活ですよ。全く関係ない。嫁でも寝取られたんですかね?。名のあるお方も煽られて火を吹いたりしている。あなたレベルが下界に降りてこなくてもいいじゃないかと思うのだけど、、自分の時間をタダで人にあげている。親切すぎかな。って、こういうこと書くのが親切。帰ってきたブーメランがブッ刺さっちゃってるわけだ。

 

前置きが長くなった。今日は友達について考えたい。今夜もよろしくお願いします。

 

友達は何人いるだろうか?ツイッターのフォロワー数?インスタグラム?LINE?facebookの友達の数?。facebookは割と実名リアルで、それが本当の友達だっていう人も多いいかもしれない。普段連絡取り合っている人が友達?それには会社の同期も含めるのかな?もっとアナログに、小学校からの友達だけが本当の友達とかね。どこまでが友達って言えるのだろうか。面白いことに、ツイッターやインスタ、FBとか、NSNそれぞれに友達がいて、全然別の人たちの集団に参加している。10年前に比べて、連絡を取り合える「友達」って爆発的に増えている。自分の興味の数、活動の場の数だけ友達のコミュニティがある。これって超すごいよね。その数の自分像があるってことだから。

 

で、その友達の増やし方っていうのもまた超特殊というか、10年くらい前とは全然違っていて、「登録」すると友達になれる。スッゲー!!と思う。友達って登録すると増えるんだ。僕が保育園から小学校に上がる時「友達100人できるかな?」って不安になりながら思っていた。今なら、「大丈夫だよ、100回クリック(タップねw)するだけだよ!」って言えちゃう。そしてアプリを変えてまた同じことを繰り返せばもっと増えていく。今、友達って「登録」すればできる。無限に。いい時代だ。

「彼女を作る」って言い方をする人もいる。もしかして、、、自作している?超最先端の未来から来た人かもしれない。Android系彼女か、iOS系彼女か、はたまた古風にLinux系彼女とか?ちょっと和服のさw。彼女は作れる!。

 

バカ話はこれくらいにして、そろそろ本題に入りたい。前置きが長くなった。実はまだ前置きだった。今夜もよろしくおねがいします。

 

僕は結構孤独を極めている。ポケモンで言うとカラカラだろうか。いつも一人でご飯を食べているし、呑みにも一人で行く。簡単に言うと友達がいない。(そう言うと俺は友達じゃないのか!?って言ってくれる嬉しい人はたまにいるんだけど^^;)普段の話ね。普段ずーっと一人でいる。一人でいるのが好きだからってのもある。そんな僕にも1人だけ親友って言える人がいる。K氏。その人の話だ。大した話じゃないけど。

 

K氏は中学校の時の同級生だ。当時一緒によく遊んだ。ゲームをしたり、釣りに行ったり、サバゲーをしたり。なぜかK氏とだけはウマが合い、とても仲の良い友達になった。僕とK氏はとてもよく似ていた。好きな女の子の話もたくさんした。高校は違う学校になってしまったのだけど、それでもたまに会っていた。高校で僕が彼女にフラれた時、家に呼んでくれ、一晩泊めてくれた。それ以降、何か事件がおこるとK氏の家に泊まるようになった。

 

K氏とは一度もケンカをしたことがない。

それだけ仲が良ければ、ケンカの一つもするものだと思うのだけど。

 

なぜなら、僕とK氏は全く違うからだ。とても気が合い、性格も、背格好も似ているのに。自分と相手は違う。それをお互い強く理解しているからケンカにはならない。K氏とそれについて話すことはないけど、全く違う人間だってことを分かってる。同じ中学校だっただけの間柄。共通点はそれだけだ。家も違えば親も違う、高校も、大学も、就職先も、住んでる場所も、立場も。もちろん考え方も。全くの別人なんだ。それを分かってる。でもそれを言いたくはない。「俺とお前は違う」って確認したくない。違うんだって意識したらすごく寂しいから。泣いちゃう。一緒でいたいと、どこかで強く思っている。僕も彼も。だから、毎年、年越しだけは必ず一緒にすごしている。もう何回お正月をK氏の自宅で過ごしたろう。15回。もっとかな。最初はK氏の実家だった。そして結婚したK氏のアパート、今は子供ができて平屋の立派な自宅に招いてくれる。K氏にはもう嫁と子供がいるのに、正月の大事な大事な時間を僕のために使ってくれている。

 

そんなK氏は焼き鳥をつくるのがうまい。とてもうまい。いつか店をもつかもしれない。その時は全力で応援したいと思っている。K氏がお店をやるなら、いくらでも出資する。小さい焼き鳥屋なら一千万くらいでできるだろう。それが3億円だって言われたってなんとかして集める。K氏のためならいくらでも。命を落としても構わない。「あいつ友達のために死んだぜ(笑)」って笑われても。それはそれで面白いじゃんよ。

K氏は「登録」でできる友達ではない。

K氏と僕は、同じだから繋がっているのではなく、違うから繋がっているのだ。