売れるものは何か?どういうものならお客さんは買ってくれるのか?
そして値段はどうつくのか?少し分解して考えてみたい。
今まで売れてきたもの
どういうものを買って来たか。今までは「良い」ものは絶対的に良く、さらに「良い」とされているものを買いつづけていた。新しいテレビ、新しい携帯電話、パソコン、車、これは今まで宣伝や広告、情報が一方向からだったという要素が大きいと思う。「これが良い」「これで便利になる」「みんなもっている」など1つの価値観を一方的に受け取り、それが買うべきものと認識していた。
「良いもの」の終わり
インターネットが個人個人を繋ぎ、また個人個人それぞれの価値観が広く伝えられるようになると。広告で共有されていた1つの価値観より、遥かに膨大なバリエーションの価値観が世の中にあふれた。するとみんな共通の「良いもの」では個人個人が思う「良い」に合わなくなった。固定された発信者が言う「良い」が揺らいだ。
これから売れるもの
売れ続けるものは3つあると考えている。
1つ目は最低限必要なもの。今までもこれからも、どんな時代でも人間が生きて行くために最低限必要なものは売れる。単純な話「衣」「食」「住」に関わるものは売れ続けるだろう。最後まで残り続けるジャンルだと思う。ただ、このジャンルは、必ず売れるが故にものがあふれすぎていて薄利多売のレッドオーシャンになっている。
2つ目は個々に合うもの。「良いもの」という定義がとても多くなっている。何が良いものか、それは個人個人それぞれのために合うものだ。人間は本来みんな同じではない。年齢や性別などだいたいの層にわけられ、層ごとにものを提供されてきた。それをさらに細分化していくことが求められる。Amazonなどはすでに人によって違う商品の並ぶwebページを見ている。自分だけの売り場が必要なのだ。
3つ目は問題を解決できるもの。2の条件にも近いが、解決するべき問題は人それぞれ常にある。さらに時代が変わると新しい問題が次々と起こり、常にそれを解決できるものを個人レベルで求めていく。「良いもの」より「自分の問題を解決できるもの」の優先度は高い。
値段のつき方
同じものをつくっても、同じサービスを提供しても、違う値段がつくことがある。自分自身も常日ごろからそれを体感している。自分が提供しているサービスも、明確に値段が決まっているわけではなく、案件ごとに交渉している。どれくらいお客さんが求めているか、重要視しているか。同じ場所であっても、同じ時間であっても、売る相手によって変わるのだ。サービスだけでなく、物も本来そうだ。だいたい一定になるように調整されているだけで、魚や肉、野菜だって時価でやり取りされる。何が値段を決めているか。それはどれくらいの人が欲しいと思っていて、どれくらいの人が提供しているか。中学の社会の授業で習ったあれだ。どれだけ多くの人の問題解決にフィットするか。そしてほどよく希少。そのあたりでいい値段がついてくる。