代々木ではたらく

これからの働き方を考える

環境に動かされる、

どれくらい自分をコントロールできる?

自分で自分を動かすなんて本当はできないのかもしれない。

環境と、感情にほとんどのコントロールを持って行かれている。

 

映画を見たいのに見られない。

最近映画を見ていないことに気がついた。僕はとても映画が好きで、仕事に余裕ができたら即映画。時間ができたらやるリストの常に上位に映画がある。ちゃんと映画館で見ている。それが最近映画に行けていないことに気がついた。ブレードランナーの新作も見ていない。これは由々しき事態だ。なぜ時間が無いかといえば、仕事の忙しさに加え、このブログだ。毎日書くことを課してしまったばっかりに、1日最低でも1時間はとられる。しかも手があいてきた夜の時間に。ちょうどこの時間を映画に当てていたのだと気づいた。映画も重要。ブログも重要。インプットとアウトプット。両者は180度違う存在で、優先順位がつけられないのがまた憎い。

 

環境に動かされる

何に時間を使うか自分で選ぶことができているのだろうか?僕は映画を見たいのに、今日もブログをせっせと書いている。ブログの方が大事だと思っているのだろうか?僕は映画が見たいのに。人は自分の考えで行動しているように見えて、実はかなり大きな範囲で周りの環境に動かされているという。会社に行ったらだるく感じるし、公園に行ったらスッキリする。カフェに入ったらなんとなくいいアイデアが浮かぶような気がする。なんかその場所の空気感で気持ちが変わる。目の前の状況に合わせて、反射的に行動してしまうところがある。僕は今、夜になりPCの前に座ったらブログを書こうとしてしまう。200日連続してそうだったから、明日もまた夜になったら何かしら書いてしまうだろう。環境に対する行動と、習慣と、継続に対する強迫観念で今日も映画を見ることができない。なんてこった。

 

変えたければ上のレイヤーから

行動を変えたい、行動を変えたい、映画を見たいと思っていても、自分を取り囲む大きな要素がそれを許さない。行動を変えようとしても自分の力が環境の支配下にあるうちは変えることができないのだ。もし環境が自分の行動を左右する大きな要素なのだとしたら、思い切ってがらっと環境を変えてしまえば自動的に自分の行動を変えることができるかもしれない。自ら花を咲かせようといくら頑張っても、痩せた土壌に植えられている植物は育たない。パソコンを破壊するくらいの勢いで、ブログの無い世界に行けば僕は確実に映画を見ることができる。

 

まったく面倒なやつだね。