代々木ではたらく

これからの働き方を考える

ニンテンドーラボについて思うこと、

任天堂がまた何やらワクワクする遊びを届けてくれた。

1回見た人も、もう1回よく見てから読んで欲しい。

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ニンテンドーラボっていうらしい。

Nintendo Switchのコントローラーとダンボールを組み合わせて、いろいろな形や、機構を作り、インタラクティブに遊ぶ。完全に現代アートだよね。しかも組み立て方や、使い方までしっかりすぎるほどデザインされてて、アートとデザインが物凄い高いレベルで合体している。すごすぎる!。これをサラッと(そう見える)やってくるんだから尋常じゃない。勘弁してくれ。この後にもたくさんのパターンが用意されているみたいだし、何よりダンボールだからコストがかからないのがヤバい。(金かければ面白いなんてただの「刺激」でしかないからね。)アイデアがあったらすぐに実験できる。なにも支給されたダンボールじゃなくてもいいはずだし。自分でプログラムを組める仕組みも提供されそうだ。そうなれば、野生のプロや大きいお友達が黙っていないだろう。ニンテンドーラボはそんな眠っていた創造力も呼び覚ます。

 

子どもの頃の僕だったら、のたうちまわって喜んだことだろう。すげぇ!!って。俺が求めていたものが全てありやがる!!って。クラスでラボ博士って呼ばれたくて仕方なくなると思う。

当時の僕は工作が大好きでダンボールはもちろん、サランラップの芯や、面白い形の化粧箱、新聞紙、方眼紙、ペットボトル、クッキーの缶、たこ糸、竹ひごなんかが大好きだった。チョコボールのクチバシの機構で悶絶していた。それを組み合わせていろいろなものを作っていた。小学校の図工の時間は本当に天国だったし、いろいろな賞ももらった。絵もまあまあうまかった。中学校に上がると図工の時間がないことに愕然とし、美術の世界に入ることはなかった。そこで僕の人生は1回終わった。僕は美術じゃなくて図工が好きだった。中学になっても工作は大好きで、ボールペンをくり抜いて、スプリングを入れ、BB弾を連射できるように改造したり、バルサ材でバスフィッシングのルアーを作ったりしていた。今もその延長上にいる。やはり美術界ではないけど。

 

で、ニンテンドーラボに戻る。

子どもの頃の僕はこれを見たら死ぬほど喜ぶし、のたうちまわる。しかし、やっぱりどこかで物足りなくなるんだと思う。僕が作りたいものは設計図があるものじゃない。これこれこうすると「完成」します!。って書いてあるものじゃない。それは「完成」じゃんもう。それ以降はどうしたらいいの?。完成したものはもうそこで終わりなんだよ。小学生の僕は無限の可能性が欲しくて図工をやっていた。矛盾しているようだけど、ずっと完成しないものが欲しい。本当に欲しいものは、永遠と作り続けられる何かなんだ。ああしたらいいか、こうしたらいいか。「いい」っていう状態を目指して、ずっとバランスを取り続けるような感じで。ずっとガチャガチャっていたいんだ。

 

本当に面白い遊びっていうのは、遊びを作ることだと思う。

気づけば昨日書いた記事「作業と仕事は違う、」にも同じことを書いていた。働くことが楽しくなるのは「作業」をしている時じゃなくて「仕事」をしている時なんよね。ずっと「作業」をしている人は働けば働くほど辛くなっていくし、給料は減り続けるけど、「仕事」をしている人は働けば働くほど楽しくなっていくし、当然のように成果が積み重なっていくからどんどん収入が上がっていく。

それと同じように、誰かに作ってもらった遊びっていうのは、どこかで飽きてしまう。それは上限がなんとなく決まっているから。でも、自分で遊びのルールを考えて、こうしたらもっと面白くなるんじゃないか、ああしたらもっと面白いんじゃないかって、試行錯誤して無限にガチャガチャやるのが本当に面白いんだ。

 

もしかしたら、ニンテンドーラボは面白さの上限を無限に開いてくれるんじゃないかとも思っている。今回発表されたキットは、まだ天井が見えている。でも無限の可能性をビンビン感じる。また、終わらない何かを永遠にいじり続けることができるかもしれない。これからの展開に本当に期待しているし、僕もそこにいたいと思う。

俺にガチャガチャやらせてくれー!!