「仮想通貨NEM」っていい響きだよなと思う。「ねむ」ってな。あんにゅい。何もない日曜日の昼過ぎ。カーテンの隙間から差し込む日差しに浮かぶホコリ、友達はまだ起きない。昨日のお酒がちょっと残って、クソつまらないテレビ番組を、ナナメになる体をぎりぎり支えながらみてる。灰皿は山盛り。そんな雰囲気があるよ。好きだ、ねむ。
今回の仮想強盗事件は、ブロックチェーンの技術を試すような形で進行している。追跡はどこまでできるのか?犯人まで到達できるのか?攻殻機動隊の世界顔負け。これで犯人が逮捕されれば、ブロックチェーンは本物になり、セキュリティのテクノロジーを強力にアップデートすることになる。そこからが本当の暗号通貨の幕開けだ。ガンバえ〜NEM!。
前おきはここまで。今夜も寒いですね。皆さん週のスタートいかがお過ごしでしょう?僕は今夜もひとりぼっちでご飯を食べに街をうろついていますが、月曜定休のお店が多くてなかなか決まりませぬ。しかしながら僕のブログは定休日はありません。今夜も読みに来てくださってありがとうございます。少しの間お付き合いのほど、よろしくお願いします。
シンプルな話、自分が生きていく中で、誰が舵取りをやるか。それを、どれくらいやるかということかと思う。僕含め、あなたは自分の人生を100%自分で舵取りしたいと思っているかもしれない。全部自分の思い通りにする。どこで、なにを、いつやるか。そんな暮し最高じゃないか。しかし、そんな生活をしている人なんてほとんどいないんじゃないかな。100%自由な生活、それをするためには時給自足の生活をするしかない。自分の食べる食べ物を自分でつくり、家を自分で建て、着るものまでつくる。誰の手も借りずに全て自分でやるのだ。そうすれば、誰にも邪魔されず、自分の思い通りになる。これを基本に考えてはいかがか?
仮想通貨NEMが流失した件について。こんな記事をみた。
「お金がないと可能性が狭まってしまう。地道に働いても、年収600万円がいいところ」マジか。これが今の日本人の考え方か。正直ひどいとしかいいようがない。年収600万円でも可能性がないなんて。600万円に可能性を持たせる使い方ができないなんて。お金に縛られ過ぎもいいところだ。こういうお金の使い方を知らないような人間はいくらあっても「足りない」って言い続ける。1億5000万円の含み益をもし換金できたとしても。消費しておしまいだ。ラッキーで得た1億円がなくなるのは早い。
今の時代(これまでの時代)他人に舵取りを任せすぎだったのではないだろうか?記事に出てきたAさんは、貯金のほとんどを仮想通貨につっこんだ。その後はもう自分の力では何もできない。数字を見ているだけ。いつ引き出すか、それだけ。会社に就職して終身雇用だと喜んでも、会社にほとんどの舵取りを任せることになる。勝手に決まった人事を受け入れて、勝手に決まった給料を受け取り、そのなかで消費して生活していく。フリーランスは見た目は自由かもしれない。でも実はほとんど会社員と変わらない場合が多い。出勤しなくていいし、監視拘束されないかもしれないが、下請けの時点で舵を握っているのは自分ではない。発注元の会社か、その業界、その国、世界。自分でコントロールできる部分なんてあまりにも少ない。
すごく自由にみえるユーチューバーも、Googleのコントロール下におかれている。先日YouTubeのパートナープログラムの変更があった。
今までは再生数で収益化されていたのが、再生時間と登録者数での収益化に変わった。これが意味するのは「より視聴者にとって有益で中身のある映像をつくれ」ということだろう。タイトルやサムネイルだけが面白い釣りのような動画や、一発芸的な動画は淘汰され、より広告主にとって意味のある動画に収益がついていく。健全な変更ではあるが、動画投稿で収益を受け取っていた側はなすすべも無くこの変更を受け入れなければならない。ここでも重要な柁取りは自分ではできない。
その舵は誰の手に
今感じている窮屈な感じは、他人に舵取りを任せてしまっているからなんじゃないかな。自分の舵の90%以上を知らない誰かが握っている。自分が決めることなんて、毎日のコンビニ弁当を何にするか、くらいじゃない?それもコンビニのラインナップがある程度決める。「パンツは自分で買え」って誰かが言っていた。日々の生活全部の舵を取る必要はない。オートパイロットもいい。しかし、少しずつでもいいから、選ぶこと、決めること、誰かに任せていたことを、自分の手に戻して、自分で考えて舵を切る割合を増やしていこうじゃんよー。そして、少しずつでも自給自足できる部分を増やしていけば、少しずつ、窮屈さから解放されていく。そうすれば少しずつ、自由を感じられるようになっていくだろう。600万円で夢がないなんてそんなかなしい台詞は聞きたくない。100円玉だって自分の考えを実現できるはずだから。