代々木ではたらく

これからの働き方を考える

1兆円を5000回ください、

こんばんは、よしけです。週明けの東京はよく晴れましたね。気持ちいい天気を通り越して、暑い夏日となりました。今週はずっと天気が良さそうです。梅雨はどこへやら?いったん休戦という感じでしょうか。おやすみはありがたいですね。

 

自分にフィットするものを手に入れるということが、いかに幸せなことか。そう思ってやまない今日このごろです。いくら良いとされるものが手に入っても、身の丈に合わないと気持ち悪さや居心地の悪さを感じたり、どう扱っていいか、どう接していいか分からず、やがて幸せではなくなってしまう気がします。いきなり超大金を得たり、超高待遇のポジションを与えられても、それに見合う器を用意できなければすぐに溢れ、こぼれ落ちてしまいます。受け止められないだけならまだいいですが、その圧力に潰されてしまうかもしれません。

 

私たちは普段、不意に5000兆円欲しいなと思ってしまいますよね。しかし、実際に5000兆円手に入っても適切な使い道が分からないし、とまどってしまうでしょう。せいぜい旅行したり、家とか車を買ったり、高級レストランなど日々の贅沢したり、、。数億円使ったあたりでもうやることがほとんどなくなってしまうんじゃないでしょうか。自分のやりたいこと、想像できることの範囲でしかお金は使えません。ほぼ無限にお金があるという状態では、何に使おうか考えるだけでも頭を悩ませてしまうでしょう(逆にそれを仕事にしている人もいるのですが笑)。仕事を少し頑張って得たお金で、使い道をよく考えて好きなことをする。そこに嬉しさや充実感が発生し、幸せを感じられるのだと思います。「幸せ」っていうのは継続して感じるものではないと僕は思います。幸せの源泉が発生した瞬間だけ感じられるものという気がします。お給料が上がった月は嬉しくても、だんだん当たり前になってきますし、大好きな女の子と付き合えてもしばらくすると「あれ?」と思い始めてしまうわけです。高いレストランに行っても、初めて行ったときの感覚と、2、3回行った時の感覚は違うものです。初めてというのはやはり特別、幸せは一度きりなのですね。上昇する瞬間だけ、新しいものを得た瞬間だけそれを感じることができます。(まぁ、継続する幸せっていうのもあるとは思いますが。それでもその継続の中に新しい要素が何かあるはずです。)だから自分にフィットしないものではその瞬間を得ないまま、トロフィーだけもらうようなものなのです。もし仮に5000兆円もらえるなら、1兆円ずつ5000回に分けてもらったほうがいいかなと思います。それくらいが僕にフィットする金額です。それに、5000回もらえるよとアナウンスしないでほしいですね。先がわからない方が驚きも手伝ってより幸せに感じると思います。よろしくお願いいたします。

ほぼ無限にあるものに価値が生まれないように、5000兆円は砂や空気くらいの価値しか感じられなくなってしまうかもしれません。ちょっと脱線しましたが、自分にフィットしないものはいくら価値が高いとされていても、よい結果にならないのではないかということが言いたかったのです。仕事も同じですよね。いくら給料が高くても、待遇がよくて、ホワイトでも、自分にフィットしていない仕事をやり続けることはとてつもなく退屈で、時間の無駄、人生の無駄を感じてしまうでしょう。自分、こんなところで何やってんだろ、、って。やりがいや手応えがどうしても必要なのです。椅子に座ってるだけで月給50万円の仕事は一見最高ですが、これに耐えられるのは精々3日くらいでしょう。自分にとって意味のない事をやり続けるのは、たとえお金がもらえても苦痛なものです。5000兆円のトロフィーをいきなりもらって脳内麻薬の超新星爆発を被るよりも、仕事においても小さい成功や、小さい評価をたくさん得て、小さい花火を何発も上げるほうがよほど幸せであり、自分の力で、徐々に大きくしていける花火を見続けていたいと感じるものです。