こんにちは、よしけです。東京は快晴ですね。まさか6月にこんな空を見られるとは思いませんでした。抜けるような気持ちの良い空ですね。「抜けると気持ち良い」というのは何か万物に共通したものがあるのでしょうかね。写真や映像の世界、デザインの世界でも「ぬけがいいね」と言ったりします。なんというか、窮屈感がなくて、どこかにイグジットできるような感じといいますか。長く伸びる高速道路のカーブの先みたいなそんなスッキリとした感覚があります。暗い道の先に、光が射す曲がり角があるみたいなそんな感じも似ているところがありそうですね。ゲームとかで行き先をさりげなくナビゲートするあれです。あっちに出口あるよっていうあれ。その先にいってみたくなりますよね。
抜けると気持ちい話しは置いておいて。本当は全然ちがうネタを書こうと思っていたのです。それは、「教えたがる人に学ぶべきところはない」ということです。また極論をとお嘆きのあなた。申し訳ありません。でも、最近よく耳にする話しだったのでつい書いてしまいました。教えたがる人ってなぜかいるんですよね。とっても親切だと思いますよ、知識を広めようとしてくださっているのですからね。教師などは昔からリスペクトの対象だったわけで「先生!」などと言われて持ち上げられるわけです。もちろんきちんと知識をもってideas worth spreadingの精神でやっていたり、自分は十分戦ったあとで現役を退き後輩や文化を育てるという精神で教える立場になっている人は本物でしょう。しかし、ただ教えたいだけ、リスペクトされたいだけ、金をむしりたいだけ、というやつもいるんですよね。特に若い人はちょっと注意した方がいいかなと思っております。
そもそも、教えられる知識やアイデアがあって価値がある若い人っていうのは、現役なんですよね。現場でガンガン新しいことを開拓しているんですよ。めちゃアクティブで誰かを教えてる暇なんてないわけです。教えるなんてこと全く考えていません。よくてアシスタントが1人二人いるレベル。そのアシスタントになれるならばフォローする価値もあるかもしれませんが。だから、みんな集まって!教えてあげるから!そして金くれ!っていうのはそこが開拓現場なんですよ、そこが集金の場なわけです。そこに全力を尽くしています笑。
僕がいた教育の現場でも仕事の現場でも、同じことが発生していました。技術を教えるタイプの大学の教授っていうのは結構矛盾していて、本業(専門分野)では稼げていない人がやっているっていうケースが結構あります。特に若い教授ね。あと仕事で言えば、仕事の合間に専門学校の講師をやっている人がいるのですが、そういう人も第一線に出られていない人がやっていることが結構あります。(全員がそうではありませんが)本当に師事する価値がある人というのは、早々教える側には回らないということだと思います。少なくともツイッターで募集とかしてねーんですよ。